2023年07月01日

[余聞序]「貘」の里帰り

2023年5月9日。卒業以来46年ぶりに母校、九州産業大学芸術学部を訪れました。ソーシャルデザイン学科の伊藤教授のゼミに飛び入りで参加させていただき、楽しい時間を過ごすことができました。

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第1時限目は、学生時代に試作していた「貘」をめぐって、「書写・レタリング(作字)・タイプフェイスデザイン(活字書体設計)の相違点と関連性」ということでお話ししました。学生時代の話が盛り上がったので、第1時限目はこれだけで終わってしまいました。「貘」のポストカードを皆さんに差し上げて、やっと「貘」を母校でお披露目することができました。

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第2時限は、書体制作方法の変化と継承、活字書体の著作権と使用許諾、タイプファウンドリーのビジネスとしての現状など、ソーシャルデザイン学科ということで、直接的な書体の話ではない方向での質疑応答になりました。
posted by 今田欣一 at 08:03| 活字書体打ち明け話・序 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月23日

[追想序]偏差値がなんだ!


ある人から「出身大学について自慢げに書いているようだけど、俺は偏差値を知っている。お前はバカだ。恥ずかしくないのか」と言われたことがありました。
わざわざ偏差値を調べてくれてありがとう。だけど、そこで得たことも多かったし、それが今の自分にもつながっています。愛着もあります。今後も思い出を書いていきたいし、母校に対して機会があれば協力していきたいと思っています。

人気コミック「推しが武道館いってくれたら死ぬ」の基玲奈さんが和気町インフルエンサーに就任したというニュースが飛び込んできました。それに乗っかって、基玲奈さんの地元散策ということで、JR山陽本線和気駅から、古い商店街を通り、出身校の和気閑谷高校まで歩いてみました。私にとっての思い出巡りでもあるのです。

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高校の校門の目の前にある旭東印刷で活版印刷に出会いました。放課後には必ず立ち寄るというぐらい入り浸っていました。高校の文化祭の印刷物はもちろん、個人的な印刷物なども旭東印刷に頼みました。地元の小さな印刷会社なので、活版印刷といっても案内状やハガキ程度で、タイプ孔版、タイプオフセットが中心だったような印象です。
その1週間前の4月29日には、和気閑谷高校のリアルOB,OGのみなさんと東京ベイコート倶楽部で会食しました。OBの中に、活字書体に興味のある方がいてびっくりしました。

翌日、卒業以来46年ぶりに母校、九州産業大学芸術学部を訪れました。当然のことながら、まったく変わっていました! 私の学生時代には、JR鹿児島本線に九産大前駅もなかったし、大学の北門もありませんでした。

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北門の向かいには「チトセヤ画材東店」があります。昔はこの場所ではなく、正門の前からJR鹿児島本線の踏切を渡ったところにありました。その隣には喫茶「貘」がありました。目の前にスクールバスの駐車場があり、待ち時間に入り浸っていたものです。「貘」は、今は親不幸通りで「屋根裏貘/アートスペース貘」として続いています。「貘」を書体名にしたので、もうひとつのレタリングは、心の中で「チトセ」ということにしています。
この日は私の誕生日でした。九州産業大学芸術学部の栗田学部長、ソーシャルデザイン学科の伊藤教授、桜井准教授、日本タイポグラフィ協会理事の茂村さん、九州ADC代表の梶原さんに祝っていただきました。
posted by 今田欣一 at 07:58| 活字書体打ち明け話・序 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月25日

[追想序]タイポスと弘田三枝子と

「タイポス」は私を活字書体の世界へ誘った書体です。弘田三枝子さんの『ミコのカロリーBOOK』(久我三郎編、集団形星、1970年)の本文書体にも使われていました。

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私の卒業研究(1977年)のテキスト部分はタイポス35+石井細明朝体で組んでいます。今から見れば稚拙な文章ですが、その写植印字物は今でもファイルに入れて大切に保存しています。

「タイポス」の制作者の一人である林隆男さんと初めてお会いしたのは1990年、イギリス・オックスフォードの街角でした。お会いしたというより、すれ違ったという程度でしたが。そのとき、高田裕美さんも同行されていたようです。
林隆男さんが設立した株式会社タイプバンク。高田裕美さんの『奇跡のフォント』(時事通信出版局、2023年)は、タイプバンクの興亡史として読んでも面白いと思います。また日本におけるタイプ・ファウンドリーの現状についての記録でもあります。
posted by 今田欣一 at 08:37| 活字書体打ち明け話・序 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月27日

[追想序]ある先輩

私をタイプフェイスデザインに誘ってくれた本は『書体デザイン』(桑山弥三郎著、グラフィック社、1971年)ですが、実はもう一冊、忘れてはならない本があります。『新書体』(桑山弥三郎著、柏書房、1973年)です。
この本には、中村征宏さんの「ナール」、鈴木勉さんの「スーボ」、小塚昌彦さんの「ピコ・カジュアル」、酒井正さんの「明石」などと並んで、菅昌克さんの「アリス・オープン」が掲載されていました。

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菅昌克さんは、九州産業大学芸術学部デザイン学科を卒業されています。芸術学部は1966年4月に設置されていますので、最初の卒業生だと思います。私の7年先輩にあたります。地方の大学の学生にとって、東京で活躍されている先輩は憧れの存在でした。そして、タイプフェイスデザインを強く意識するようになるひとつのきっかけでもあったのです。
菅さんは「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」にも多く出品され、第2回(1972年)佳作、第3回(1974年)3位(谷道実さん、丹野正則さんと連名)、第4回(1976年)佳作(中園勝さん、鴨野実さんと連名)と、ずっと入選されていました。
私が応募するようになってからも、第5回(1978年)佳作(鴨野実さんと連名)、第7回(1982年)3位と入選されていますが、おそらく表彰式には出席されていなかったようで、一度もお会いしたことはありません。

posted by 今田欣一 at 09:09| 活字書体打ち明け話・序 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする