和刻本正史『南斉書』の出版は、川越藩主の柳沢吉保(1659–1714)が計画しました。これは中国・明代に南京国子監で出版された二十一史のうちの『南斉書』を覆刻したもので、江戸長谷川町にあった松會堂松會三四郎によって出版されたということです。『南斉書』のほかには、最初に出版した『晋書』のほか、『宋書』、『梁書』、『陳書』が出版されています。
写真の『和刻本正史南斉書』は汲古書院によって、昭和45年に影印(縮刷)出版されたものです。
城下町川越。
1590年(天正18年)、徳川家康が一族家臣を従えて関東に移ったとき、川越には酒井重忠が封じられました。川越藩は、江戸時代には17万石を誇っていました。江戸時代の本丸御殿は、建物の数16棟、1025坪の規模を誇るものでした。
現存する本丸御殿は、1848年(嘉永元年)に建てられたものです。明治以降、建物の移築・解体が行われ、玄関部分と大広間だけは役所、工場、校舎などに使用されました。現在では、本丸御殿の玄関部分と大広間、移築された家老詰所を残すのみとなっています。それでも、このような本丸御殿は東日本には唯一しかなく、全国的に見ても貴重な遺構だそうです。
柳沢吉保が川越藩主となり川越城を拝領したのは、元禄7年(1694年)1月7日のことです。宝永元年(1704年)12月21日、甲斐国甲府城と駿河国内に所領を与えられ国替えとなるまでの10年間、川越城主だったのです。
川越市立博物館へ。
第28回企画展「柳沢吉保と風雅の世界」は、2006年10月7日から11月12日まで開催されました。この展示を見ることができなかったのですが、展示図録を入手することができました。
それによると、4テーマで展示されたとのこと。
一、五代将軍綱吉と吉保
二、六義園にみる風雅の世界
三、吉保をめぐる風雅の人々
四、吉保と川越藩政
このうち「三 吉保をめぐる風雅の人々」のところに『晋書』の図版がありました。現物を見たかったなあ。
『活版印刷三日月堂』を訪ねて
ほしおさなえさんの川越を舞台にした小説『活版印刷三日月堂』シリーズ(ポプラ文庫)の舞台となった場所を訪れました。川越の小さな活版印刷所の若き店主・弓子さんとお客さんとの交流の物語です。2017年末に発売される第3作も楽しみ。四部作になるのだそうです。
小説の中の「活版印刷三日月堂」は、「川越のメインストリートから仲町の交差点を左に入って鴉山(からすやま)神社のはす向かいの白い建物」という設定。物語の雰囲気を味わってみようと思いました。川越にはよく行くのですが、鴉山神社の周辺には初めて訪れました。住宅街の中に小さな鳥居がありました。※
室町時代から続く由緒ある神社で、歴代の川越の藩主たちの庇護を受けてきたのだそうです。
[追記]
※もう一度小説を読み直したところ、「三日月堂」の位置は鴉山神社のこちら側ではなく、反対側だということがわかりました。
物語では、鴉山神社のはす向かいの白い建物とのことです。駐車場になっているあたりではないかと思われます。
川越で「有限会社川田写植」をみつけた!
木版印刷、活版印刷ときて、さすがに写真植字はないだろうと思っていたのですが、なんと西川越駅近くで「有限会社川田写植」の看板をみつけました。
ちょうど日曜日で休みでしたが、あとで調べるとちゃんとウェブサイトもありました。
「有限会社川田写植」公式サイト
さすがに写植印字はやっていないようですが、社名に「写植」を残したまま営業されています。とてもうれしく感じました。ぜひこのままで継続していただきたいものだと願っています。
(おまけ)「小江戸蔵里」の「展示処」。いつかここで何かイベントができればと思いつつ……。