2016年03月15日

文字と書物の基本をもういちど〈中国国家典籍博物館と国文学研究資料館〉

2016年1月9日(土曜日) 中国国家典籍博物館

中国の古典籍は、わが国では「漢籍」と呼ばれている。「漢籍」とは中国人の著作で、中国語(漢文)で書かれ、中国で出版された書物のことである。わが国にも多く輸入され、静嘉堂文庫や多くの図書館で所蔵されている。それでも、北京で中国国家図書館所蔵の「漢籍」を見たいと思っていた。

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劉慶さん、應永會さんとともに、汪文さんの案内で中国国家図書館の敷地のなかにある中国国家典籍博物館へ。2014年9月10日に開館したそうなので、建物もまだ新しい。中国国家図書館の所蔵する中国の典籍が大量に展示されている。

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常設展では、多くの典籍が、文学的な歴史、製本の歴史など、テーマ別に展示されていた。欣喜堂の「漢字書体二十四史」で参考にしている資料の原本がいくつか展示されているのでガン見してしまい、しばしばガラスケースに頭をぶつけてしまったぐらいだ。

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このときの企画展は「宋元善拓展」と「甲骨文記憶展」をやっていた。「宋元善拓展」では、宋元代の拓本と現代の書家の臨書を並べて展示されていた。「甲骨文記憶展」も展示にいろいろ工夫していた。


2016年3月15日(火曜日) 国文学研究資料館

和書とは、江戸時代までに日本語(和文)で書かれた書物を指す。和本ともいう。和書を体系的に見ることができるのが「国文学研究資料館」展示室で開催されている通常展示「和書のさまざま」である。

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和書について、「形態的、内容的な構成の説明」「各時代の写本・版本・古活字本の紹介」が体系的に展示されていてわかりやすい。さらに専門的ではあるが「和書の性質を判断する場合の問題」もいくつか取り上げていて興味深い。映像による展示もあり、全体を通して和書の基本知識を学ぶことができる。

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「職人のいる文芸―中世から近世へ―」という特設展示もあった。「職人」とは広くさまざまな職業について働く人々のことを指すそうだ。『職人歌合』や『職人尽絵』が展示されていた。

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展示室前には、実際に刊本を手にとって見ることのできるコーナーもあった。

中国国家典籍博物館に比べるとスケールは小さいが、日本の書物についての入門として、十分に満たされる展示になっている。


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2016年03月16日

石の書物をたずねて〈熹平石経・開成石経・乾隆石経〉

2016年1月10日(日曜日)

午前中に孔廟・国子監博物館、午後から故宮博物院を見学。どちらも北京を代表する観光地である。

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孔廟・国子監博物館

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故宮博物院

なかでも孔廟・国子監博物館にある乾隆石経が一番の目当てだった。儒教の十三経を石に彫った、いわば石の書物である。この拓本(複写)を、足利学校事務所のビデオルームで見て以来、ぜひ現物を見たいと思っていたのだ。

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足利学校事務所ビデオルーム

「乾隆石経」の扁額は、ノーベル文学賞の莫言氏の書だそうだ。

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乾隆石経

乾隆石経は、清の乾隆帝が作らせたものだ。江蘇省出身の貢生(科挙に合格し、国子監に入学した者)で、著名な書家であった蔣衡が、791年(乾隆56年)から3年かけて楷書で書きあげた。189石が完全に保存されている。

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ひときわ大きな石碑は、乾隆帝の御製文である。おもて面は漢字(行書)、うら面は満洲文字で刻まれている。熹平石経が隷書体、開成石経が楷書体であったので、乾隆石経の御製文の行書体には注目していた。

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乾隆帝の御製文

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乾隆帝の御製文 おもて面

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乾隆帝の御製文 うら面


1992年7月29日(水曜日)

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西安碑林博物館

20年以上前になる。西安碑林博物館を訪れた時、熹平石経の残石を見たはずだが、当時は興味がなかったので、その記憶がない。王羲之の「集王聖教序」など、著名な書家の石碑にのみ注目してしまっていた。この裏手に熹平石経の残石があったのだ。
熹平石経は多くの戦乱によって大部分が破壊されてしまっていたが、1922年に洛陽太学遺址から100余の残石が出土した。その残石のひとつを展示していたようだ。
熹平石経とは、東漢の後期に洛陽城南太学門外に立てられた儒学七経の石経である。記録に残る最古の石経で、蔡邕の揮毫といわれている。易経・詩経・書経・儀礼・春秋・論語・公羊伝の七経からなっていたそうで、漢代の典型的な公文書体とされる。

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『西安碑林書法芸術』(陝西人民美術出版社、1989年)より 熹平石経のページ

実際に意識して見ることができたのは、京都の藤井斉成会有鄰館と東京の台東区立書道博物館である。台湾の国立歴史博物館にも所蔵されている。

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藤井斉成会有鄰館(京都)

西安碑林博物館といえば開成石経である。第一室が開成石経で埋め尽くされていた。じっくりと見ることができたのだが、保護プレートで覆われていたのは残念なことだった。

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西安碑林博物館第一室 開成石経

開成石経は、唐の文宗皇帝・李昂が命じ、830年(大和4年)から837年(開成2年)にかけて、艾居晦らの写字生によって真書で書かれた。長安城務本坊の中に置かれていたそうだ。

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『西安碑林書法芸術』(陝西人民美術出版社、1989年)より 開成石経のページ

十三経の石碑が揃っている。十三経とは、周易・尚書・儀礼・詩経・周礼・礼記・春秋左氏伝・春秋公羊伝・春秋殻梁伝・論語・孝経・爾雅・孟子の儒教経典のことである。このうちの孟子は、清の康煕年間に当時の陝西地方政府によって補われたとのことである。
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2016年03月17日

現代に生きる木版印刷〈煮雨山房芸術文化有限公司〉

2016年1月11日(月曜日)

姜尋さんの木版印刷の工房「煮雨山房」を訪問。

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木版印刷とは、木の板に文章または絵を彫って版を作る、凸版印刷の一種である。中国では雕版印刷というそうだ。


「煮雨山房」見学

1 彫刻

木版印刷の版木。作業中のもので、左側が彫り終えた行、右側がこれから彫る行。写真ではわかりづらいが、薄い紙に文字を書いて、それを裏返しにして貼っている。

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彫刻刀で版木を彫っているところ。この版木は梨だそうだ。硬い木なので彫刻するには力が入る。

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2 印刷

版木に墨や絵の具などを塗り、紙をあてて上から馬楝(ばれん)で摺って制作する。日本の馬楝(写真右)は芯を竹の皮で包んだものだが、中国では狭く長い刷毛(写真左)または櫛形刷毛で摺るそうだ。

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木版印刷の版木と印刷物。彫りが深いのは、印刷部数を多くするためとのことだ。

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3 製本

こちらは伝統的な線装(袋とじ)による装幀の工房。

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木版印刷による出版物

煮雨山房で製作された木版印刷の書物のひとつ、ノーベル文学賞作家の莫言氏の著書『大風』を見せていただいた。

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ところどころに剪紙があしらわれている。

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線装(袋とじ)。この複雑な綴じ方は姜さんの創案によるものだそうだ。

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帙も凝りに凝っている。

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姜さんは、このほかにも次々に版木や書物を出してきて説明してくれた。

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「模範書局」見学

「模範書局」という姜さんのショップ兼ギャラリーにも案内していただいた。

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姜さんを囲んでの記念写真。

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posted by 今田欣一 at 13:01| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月30日

オックスフォードの思い出1 書写と彫刻

(この記事は1990年に書いたものを掲載しています。英語がさっぱりわからないので、以下の記述には間違いがあるかもしれません。悪しからず)

コーパス・クリスティ(Corpus Christi)
最初で最後の海外出張は1990年9月のこと、目的地はイギリスのオックスフォードである。AtypIの主催するType90という国際的なイベントである。英語はほとんど話せないというのに…。(なお今年もType16として、ポーランドのワルシャワで開催されるそうだ)

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コーパス・クリスティ(Corpus Christi)ではふたつのワークショップに参加した。カリグラフィ(Calligraphy)とストーン・カッティング(Stonecutting)とである。通訳なしの英語はきつかったが、見ているだけでも通じるものがあった。

カリグラフィ(Calligraphy)
1990年9月2日16:30-17:30

アメリカのジョージアンナ・グリーンウッド氏が講師である。彼女は1936年にオハイオ州コロンブスで生まれ、1960年に学士号を取得した。のちにリード・カレッジ/ポートランド博物館アート学校に通ってカリグラフィを勉強した。フリーのカリグラファーであり教師でもある。
教室には中央に大きなテーブルがあり、10人あまりの参加者が取り囲むように坐っている。講義の冒頭で、参加者がひとりひとり自己紹介をはじめた。これには心臓がとまるほどの思いがした。ぼくのほかに日本人がいなかったのは幸いだった。しどろもどろながら、なんとかその場を切り抜けた次第である。
講義はカリグラフィにおける文字形象の特徴について、グリーンウッド氏による実演をまじえて説明されていた。さらにはカリグラファーとレタリング・アーティストの教育、カリグラフィと活字との関係などについても言及されたようである。

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ストーン・カッティング(Stonecutting)
1990年9月3日11:00-12:00

講師はアメリカのジョン・ベンソン氏であった。彼は1961年にロードアイランドデザイン学校(RISD)の彫刻課程を卒業している。ジョン・F・ケネディ記念碑の碑文彫刻や、国立美術館・東ビル、スミソニアン学術協会レンウィック・ビル、ボストン市庁舎、テキサス美術館などの建築碑文を設計・施行している。
まず室内では下書きの実演があった。下書きは薄紙に平筆で描くカリグラフィであった。ステムやカーブの部分は自然なストロークで描かれるが、セリフの部分などはかなりの技術が必要とされるようである。
そののち室外に出て、石彫の実演となる。ベンソン氏は鑿を鎚でたたきながら、なにやら説明する。石の粉が飛び散るので、参加者は遠巻きにして見学している。しだいに石に彫られた文字があらわれていく。
posted by 今田欣一 at 07:52| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月31日

オックスフォードの思い出2 活字版印刷の原点

(この記事は1990年に書いたものを掲載しています。英語がさっぱりわからないので、以下の記述には間違いがあるかもしれません。悪しからず)

レディング大学(Reading University)
オックスフォードからミニ・コーチでレディング大学に向かう。レディング大学には、イギリスの大学ではただひとつの「タイポグラフィおよびグラフィック・コミュニケーション学部」がある。

活字版印刷
1990年9月2日9:00-12:00

最初にレディング大学のマイケル・トゥワイマン博士の説明があった。トゥワイマン博士はレディング大学タイポグラフィおよびグラフィック・コミュニケーション学部の学部長であった。
コーヒーのサービスがあり、活字版印刷所に案内される。スタン・ネルソン氏による手作業の金属活字彫刻と鋳造の実演である。自動鋳造植字機(Monotype)による植字と鋳造の実演もあった。
ネルソン氏は、1970年にアイオワ州スーシティ市のモーニングサイド・カレッジで芸術と歴史の学士課程を卒業後、1972年からスミソニアン協会のグラフィック・アート事業部で博物館員として働くかたわら、20年間にわたって活字の鋳造をもうひとつの専門としていたとのこと。彼は趣味として自宅で印刷工房を運営し、手製の鋳造による活字鋳造所を作っているそうだ。

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鋳造活字以外の実演も用意されていた。ミック・ストックス氏の指導のもとに、19世紀の平圧印刷機で、おなじく19世紀につくられた木活字を使ったポスターの印刷の実演を見学。参加者の何人かは体験する機会があたえられた。そういえば、廊下の壁一面には大量の木活字があった。

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大学の好意によりサンドイッチがふるまわれ、ふたたびトゥワイマン博士が登場。教室に貼られていた19世紀の木活字によるポスターについて説明していただいたあと、19世紀の印刷家ジョン・ソウルビーとウィリアム・キッチンによる端物印刷のコレクションを見せていただいた。

posted by 今田欣一 at 07:09| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする