●第11回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1990年
第11回(1990年)石井賞創作タイプフェイス・コンテストには、小瀬甫庵(1564-1640)によって著述された織田信長の一代記である『信長記』をもとに制作した活字書体を応募した。第10回書体は和様体の井筒屋本『おくのほそ道』を参考にしたが、第11回書体は対照的に漢字カタカナ交じり文の甫庵版『信長記』を参考にしたのである。
●『信長記』
◆ 書風
応募のときに添付する制作意図には、まず書風について書いている。
人間的な暖かさ、温もりが求められ、手書き風の書体が人気を呼んでいる中で、緊張感とか、精悍さといったものを見失っている。本当の優しさは、厳しさの中にある。厳しさの中に優しさが潜んでいるというイメージを表現できないかと考え、制作したのがこの書体である。
第11回書体は、手書き風書体がコンテストの上位を占めているという傾向に対し、漢字カタカナ交じり文の甫庵版『信長記』に感じた「厳しさの中に優しさが潜んでいるというイメージ」を活字書体として再生させようとしたものである。
甫庵版『信長記』は書としての評価はさほど高くないかもしれないが、荒々しさ、精悍さを感じる。ひらがな文に女性的な流麗さを感じ、漢字カタカナ交じり文に男性的な厳しさがあるように思う。
新しいものを考える時、経験が邪魔をすることがある。ひとつのイメージを執拗に追い続ける姿勢も素晴らしいことだと思うが、私は常に新しい可能性を求めていきたいと思っていた。
◆筆法と結法
つづいて感覚的ではあるが、筆法と結法について簡単にしるしている。
直線的だが筆勢を感じさせるエレメント。超長体のくせに自然な伸びやかさを持ったフォルム。対立するはずの要素を消化して、宋朝風だがコンテンポラリーな、伝統と斬新が程良くミックスされたインパクトの強い書体をめざした。
エレメント、フォルムということばを漢字や和字で適用するには無理があるかもしれない。筆法、結法というべきだったであろう。筆法はひとつひとつの点画をどう書くかということであり、結法は点画を組み合わせてひとつの完全な美しい形を整えることである。
●劉元起版『漢書』
日本語は、幾つかの文字体系で構成されている。和欧混植ということばとともに、和漢混植ということが成り立つ。日本語の活字書体は、和字と漢字、和字と欧字をよく調和させなければならない。
漢字は劉元起版『漢書』などに見られる割注の字様を参考にすることにした。「超長体」「宋朝風」というのはこの割注の字様を指している。割注はもともと長体なので、磔法を強調するのに好都合だったのである。
●白隠慧鶴「いろは歌」(1734年、永青文庫所蔵)
ひらがなの筆法は白隠「いろは歌」にみられる「まわし」の転折化を基本にした。白隠「いろは歌」は、平安古筆の王朝風から脱しており、禅の精神があふれた書として高く評価されている。和字は流麗でやわらかいように思いがちであるが、骨格はシャープな切れ味をもっている。しかも面をかえしながらの直線の連続なのである。
これは「まわし」や「あたり」にも基本的な考え方となっている。この考え方を強調して直線的にしたが、竹を割ったようにしなやかなイメージになった。この書体ではかなり極端に直線的にしたが、精悍さ、厳しさを主張しつつ、肉筆の暖かさを無くさないようにしようということである。
文字のふところを狭くすると引き締まった感じになるし、広くすると明るくおおらかな感じになる。この書体では、白隠「いろは歌」のように逆三角形をベースにすることにより引き締まった感じになった。
「ふところ」を引き締めながら、白隠「いろは歌」をさらに誇張してラインの効果を出すために長体でデザインした。これにより右払いの伸びやかさを強調することができた。
◆章法
長体に作られているこの書体では基本字面を半角に設定した。基本字面よりも張り出す磔法などを含めた文字全体の調和を保つように設計した。イメージが強烈なだけに作為的になってしまわないように、自然に縦組でのスピード感が出てくるように留意した。
この書体を第11回石井賞創作タイプフェイス・コンテストに出品したが、残念ながら2位に終わった。
「今宋」制作については、「文字の厨房」にて。