2023年08月30日

[追想2]社内報・写研祭特集号(1991年−1994年)


1991年から1994年までの4年間、写研祭の企画を担当させていただきました。私にとって貴重な経験になったのは、社内報・写研祭特集号の編集でした。それまで社内報は総務部が担当でしたが、1991年からは私が担当することになったのです。

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当時、写研では「サンプラスC」というカラー集版システムを開発しており、その実験も兼ねて、社内報・写研祭特集号もカラー印刷で制作するということでした。しかもタショニム・フォントの実用化も兼ねていたので、多書体が使い放題です。本文書体に「カソゴ」を使ったこともありました。
といっても「REJOICE!」という個人誌ぐらいしか編集の経験がありません。また電算写植システムを直接操作できるわけでもありません。遠い昔の学生時代を思い出しながら、レイアウト用紙に、コピーとハサミとのりを使って、レイアウト指定、書体指定、色指定などをしました。総務部で作っていた今までのものに比べて凝ったデザインだったので、組版を担当するトライアル室(印字部)からは嫌味を言われました……。
あとはトライアル室に校正も含めてすべてお任せです。特に色校正をできないのが不安でした。案の定、実際に出来上がってきたのを見てがっかりしたこともあります。ただ、回を重ねるごとに慣れてきました。
写研祭は1994年で終了しました。そして会場となった「鶴ヶ島ソフトボールグラウンド」(社有地)は、現在はケーズデンキなどになっています。

posted by 今田欣一 at 08:18| 活字書体打ち明け話・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする