最初に取り上げたのは『鈴木勉の本』(鈴木本制作委員会編、字游工房、1999)だと思われます。
漢字の復刻は今田欣一氏がチーフとなってまとめ上げた。
続いて、『秀英体研究』(片塩二朗著、大日本印刷、2004)では、3ページにわたって詳しく紹介されています。
実際の漢字制作には数名のスタッフがあたり、印字物の監修はおもには今田欣一があたった。また随時、新井孝・橋本和夫・石川優造・鈴木勉がチェックしていた。
上司の関与を経て、ということですね。
『一〇〇年目の書体づくり』(大日本印刷著、大日本印刷、2013)でも触れられています。
書体の仕様は、写研の鈴木勉、今田欣一氏らがまとめ、実際の制作では漢字は関谷攻、仮名は鈴木勉が取りまとめた。
補足すると、書体の仕様書は私が起票し、上司である鈴木勉氏がチェックしました。さらに漢字書体の実際の制作では私が直接的に監修をしましたが、その時の上司が関谷攻氏だということです。
『時代をひらく書体をつくる』(雪朱里著、グラフィック社、2020)では、橋本和夫氏のインタビューとして書かれています。
仮名は鈴木勉くんが担当し、漢字は今田欣一くんがチーフとなって制作しました。
『杉浦康平と写植の時代』(阿部卓也著、慶應義塾大学出版会、2023)では次のように書かれています。
制作の実務は、橋本和夫の監修のもと、鈴木勉と今田欣一が担当した。
これらのほかに、『書体のよこがお』(室賀清徳・長田年伸編集、グラフィック社、2023)にも書かれているようです。
いずれの書物でも、元社員のどなたかに取材したものと思われます。証言者の立場によって少し異なって感じますが間違いはありません。担当した社員の個人名は(元)社員しか知り得ない情報であり、仕様書や作業方法の詳細をレポートしているものもあります。
株式会社写研から見れば、モラルに反するというのでしょうか?
また、私が担当した秀英明朝の漢字書体制作に関して、『鈴木勉の本』の中のある寄稿文には次のように書かれています。
漠然とした印象では、以前から写研にあった石井特太明朝(EM)の影響を受け過ぎているのではないかという疑いをもっていた。
SHMとEMをくらべて打ってみた。「世」「伊」では、両者はかなり似ているようだ【図1】。
秀英明朝と石井特太明朝の「世」と「伊」とを例示して「似ている」としていますが、原資料の『明朝初号活字見本帳』(秀英舎、1929)に「世」も「伊」も存在するので、これと比較すれば明らかだと思います。
異議申し立てをするというほどではないのですが、当事者として、本当のところを資料に基づいて書き残したいと思っているだけです。