2023年07月29日

[追想1]せめて年賀状ぐらいは……

ある人から言われ続けられていることがあります。
「お前は写真植字機を使えないじゃないか」
その通りなので、返す言葉はありません。社内では写真植字機を使わせてもらえなかったのです。触るどころか「文字部長の許可のない者は立ち入り禁止」という張り紙があって、写植機がある部屋のドアを開けることさえできませんでした。
年賀状ぐらいは自分が関わった書体で作りたかったのですが、社内では私用で写植機を使うことはできません。社員の福利厚生を扱う「写研共済会」でも年賀状印刷の斡旋をしていました。しかし、それは定型のデザインで、住所と名前だけを写植で印字して印刷するというものでした。そこで私は、写植屋さんを探して印字してもらい、印刷会社を探して印刷してもらうことにしました。

HOI-1-6.jpg

その始まりはヘルベチカを使った1979年の年賀状です。どこで印字してもらったのか、今となっては忘れてしまいました。当初は、ヘルベチカ・ライト、レギュラー、デミボールド、ボールドのファミリー4書体で構成するつもりだったのですが、なぜか、すべてデミボールドになってしまいました。今となってはまったくわかりません。たぶん指定を間違えていたのでしょう。
写植屋さんにすべての文字盤が揃っているとは限りません。ある時、指定と違う書体で印字されてきたので抗議したら、その書体の文字盤を持っていないとのこと。最初に言ってくれよ!と思ったことを思い出しました。いちばん近いところに、すべての文字盤が揃っているところがあるんですけどね……。
ともあれ1979年の年賀状で当時の私の小さな夢が叶ったのです。それ以降せめて年賀状ぐらいはその年に制作した書体を使うということをずっと実践してきました。そして、写研の文字盤は全書体揃えているという写植屋さんを見つけ、以来、その写植屋さんに頼むことになったのです。
社員は見本帳を買うこともできませんでした。パンフレットも、フライヤーももらえませんでした。今持っている文字盤見本帳は、写植屋さんからいただいたものです。退社後に、やっと展示会などでもらえるようになりました。
posted by 今田欣一 at 09:26| 活字書体打ち明け話・1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする