2023年06月16日

[余聞2]主たる仕事は、本蘭と紅蘭にあり。

ある人が、あるデザイン誌に、次のように書いています。
「写研時代の今田の書体には創作性が強く感じられたが、今田の書体制作にはいつごろからか大きな変化があったようだ。それに関してはなにも説明していない」(要約)

一方で、別の人も、同じような見方をしています。
「写研時代はおもしろい書体を作る人だと思っていたのに、モノマネみたいな書体を作るようになった。落ちぶれたものだな」

評価が逆なのが面白いですが、どちらも写研時代をタイプフェイス・コンテスト入賞の書体だけで捉えているようです。外から見ると、それしか見えないわけで、こういう見方をされるのは仕方のないことです。何らかの説明はしていると思いますが、忘れているか、聞かなかったことにしているかでしょう。
私は、誰かの影響で考え方を変えたということはありません。あえて言えば、前々から多様な書体に取り組んでいたということです。タイプフェイス・コンテストは個人の立場で、実験的なことをしようと思って応募していました。それも一面ではあるのですが、もちろん主軸は、社員として取り組んだ仕事なのです。

HOI-2-2.jpeg

その代表的な仕事が、本蘭ゴシック・ファミリー/本蘭アンチック・ファミリー、紅蘭宋朝/紅蘭楷書ファミリーです。残念なことに、本蘭ゴシック・ファミリーは種を蒔いただけで、私の力不足と、大きな力の前に、育成、収穫まで立ち会うことができませんでした。本蘭アンチック・ファミリーと紅蘭宋朝は育つことなく消えてしまいました。
無念な気持ちが強いからこそ、記憶をたぐっているところです。
posted by 今田欣一 at 17:47| 活字書体打ち明け話・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする