2023年06月05日

[余聞2]本蘭と紅蘭を満開にするために(できなかったけど)

私が38歳のとき(1993年)のインタビュー記事を発掘しました。いまさら自慢話みたいで恥ずかしくないのかと言われそうですが、どういう立場だったかという証明のために、あえて掲載することにしました。

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記事には直接書かれていませんが、文字開発部企画課のメインの仕事は、本蘭書体と紅蘭書体の企画でした。いわゆる「種を蒔く仕事」で、育成、収穫は別のセクションということです。のちに文字開発部デザイングループになり、育成、収穫も担当することになるのですが、私は1996年に退社したので、その後どのようになったかは詳しくはわかりません。書体見本帳などで確認しているだけです。

本蘭グランドファミリーの企画

「本蘭明朝ファミリー」(すでに発売されていました)
1975年:本蘭細明朝発売(1985年:本蘭明朝Lに改称)
1985年:本蘭明朝M、D、DB、B、E、H 発売

「本蘭ゴシックファミリー」
1991年ごろから文字開発部企画課にて企画
1995年:本蘭ゴシックUの広告
【以降は、私の退社後……】
1997年:本蘭ゴシックU発売(2000年:本蘭ゴシックU改訂版発売)
2000年:本蘭ゴシックL、M、D、DB、B、E、H 発売

「本蘭アンチックファミリー」
1991年ごろから文字開発部企画課にて企画(当初は本蘭横太明朝と言っていたが、のちに本蘭アンチックに改称)
1992年:元写研大阪営業所ビル「定礎」の文字に使用
1995年:本蘭A明朝Uの広告(本蘭アンチックを本蘭A明朝として発表)
【以降は、私の退社後……】
※結局、発売されず

紅蘭グランドファミリーの企画

「紅蘭楷書ファミリー」(2書体がすでに発売されていました)
1985年:紅蘭細楷書、紅蘭中楷書 発売
1991年ごろから文字開発部企画課にてファミリー化を企画
【以降は、私の退社後……】
1997年:紅蘭太楷書、紅蘭特太楷書 発売

「紅蘭宋朝ファミリー」(中国語としてすでに発売されていました)
1985年:仿宋体(簡体字版、繁体字版) 発売
1991年ごろから文字開発部企画課にて(日本語の)紅蘭細宋朝を企画
【以降は、私の退社後……】
※結局、発売されず

posted by 今田欣一 at 06:43| 活字書体打ち明け話・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする