しかしながら石井中太ゴシック体は本蘭細明朝体に比べて字面が小さかった。そこで、漢字も含めてそのまま字面を大きくして、細部を調整した石井中太ゴシック体L(DGL)が制作された。その後、電算写植機では本蘭明朝Lと石井中太ゴシックLが基本書体となった。

石井中太ゴシック体Lが作られたのは入社前のことなので、具体的にどのような制作方法だったかはわからない。入社後の状況から想像すると、光学的に拡大して、フィルム原字で修整したのだと思う。写植会社だけに、写真処理の技術は優れていたのだ。なお、メインプレートやサプトン用文字盤の原版は、写研で開発したマスターマシンという機械を使って製作していた。
のちに本蘭ゴシックを開発したとき、当初は本蘭明朝に合わせたデザインにしていたが、社長より石井中太ゴシックに合わせるように指示があり、大幅なデザイン変更があったと聞いている。