2015年04月19日

もういちど吉備書体(一)

2014年6月24日(火)から 6月29日(日)まで、東京・根津 ギャラリー華音留で、moji moji Party No.7「今田欣一の書体設計 活版・写植・DTP」展(主催:株式会社文字道)を開催し、雨模様だったにもかかわらず多くの人に来場いただいた。
そのおり、写植書体のコーナーとデジタルタイプのコーナーに挟まれたところに一枚の額を展示していた。あまり話題にもならなかったが、「吉備楷書W3」「吉備隷書W3」「吉備行書W3」の3書体を用いて「銀河鉄道の夜」を組んだものである。
当初は「欣喜楷書W3」「欣喜行書W3」「欣喜隷書W3」と言っていた。漢字書体1006字のレベルで3書体の試作品が完成したのは2001年のことだった。これらは数年間無料頒布していたので、いまでも書籍の装丁やポスターなどでみかけることがある。
試用版の無料頒布期間が終了したのちも試行錯誤を繰り返していたが、いろいろ迷いながら変更していったことをいったん破棄して、初心に返ってやり直すことにした。ちょうどそのころ、「今田欣一の書体設計 活版・写植・DTP」展の話があった。私にとって写植とデジタルタイプとの架け橋となった思い出深い書体として、どうしても出品したかった。
あたらしい名称を「吉備楷書W3」「吉備隷書W3」「吉備行書W3」とした。「柊野(ヒラギノ)」「筑紫」など地名に由来する書体があることから、これに合わせて「吉備」という地名を選んだのである。「吉備」とは奈良時代のころの地方国家である。のちに備前・備中・備後・美作の四国となった。現在の岡山県全域と広島県東部である。

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「吉備楷書W3」

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「吉備隷書W3」

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「吉備行書W3」

2015年3月、吉備国のうち東端の地域を3日間にわたって散策した。1日目は津山市(津山洋学資料館など)、2日目は備前市(閑谷学校資料館など)、そして3日目は備前(赤磐市、和気町)と美作(美作市、美咲町)の2市2町が接するあたりだ。とくに意図したわけではないが、その素朴な風景は「吉備楷書W3」「吉備隷書W3」「吉備行書W3」と重なるように思われた。

posted by 今田欣一 at 20:28| 活字書体の履歴書・第3章(1994–2003) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする