写真植字機の普及のために、一般的な印刷だけではなくさまざまな分野にも目を向けていた。
映画のために……字幕体(1934年)
まだ印刷の分野では実用化されていない頃から、それに先駆けて映画ではタイトル専用の写真植字機が使われていたようだ。「字幕体」は映画字幕専用として制作された。無声映画の字幕などに使われたということだ。
残念ながら、この書体の文字盤はまったく残されていないようだ。筆者は見たことがない。わずかに『書窓』1936年(昭和11年)1月号の図版で見ることができるのみである。
地図のために……石井ファンテール(1937年)
1937年(昭和12年)頃から戦時色が濃くなってきた。写真植字機は軍関係で使われるようになってきた。金属活字より簡便なので、軍内部の文書の組版に使われていった。そのころ地図の標題用として制作されたのが「石井ファンテール」である。
筆者はこの書体の原字を見たことがある。「石井太ゴシック体」の青焼きの上に直接墨入れしたものだった。つまり骨格は「石井太ゴシック体」と同一なのである。欧字書体の fantail からヒントを得たとされる東京築地活版製造所の「ファンテール形」を参考にしつつ筆法を変えながら画いたと思われる。原字サイズは、17mm−18mm格ぐらいだと記憶している。今から考えるとかなり小さい。
この原字から想像すると、「石井中明朝体」も東京築地活版製造所の12ポイント活字を4倍ぐらいに拡大し、それを青焼きにとり、直接墨入れするという方法で制作したのだろう。
ところで「石井ファンテール」は写研の名刺に使われていることで、社員にとっては馴染みの深い書体である。
(写研在職時の1995年当時の名刺です)
銘板のために……石井中丸ゴシック体(1956年)
1956年(昭和31年)、銘板用に「石井中丸ゴシック体」が制作された。銘板とは、小型の平板に銘柄や仕様を表示したものである。用途や場所などによって種類も数多くある。案内板、プレート、機器に貼られている説明や注意書なども銘板である。1958年(昭和33年)には、同じく銘板用として「石井細丸ゴシック体」と「石井太丸ゴシック体」が作られた。
もともと銘板用に制作された「石井中丸ゴシック体」だったが、はじまったばかりのテレビ放送に最適だということになって、おもに報道番組に使われるようになったということである。