オールドスタイル(1933年)
石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは1933年(昭和8年)に発売された書体で、のちに「オールドスタイル小がな」と呼ばれることになる。
当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたようだ。けっして古拙感を演出して制作したのではなく、時代性を反映した書体なのである。
1955年(昭和30年)に「オールドスタイル大がな」が制作されている。さらに1972年(昭和47年)になってから、石井細明朝体、石井太明朝体、石井特太明朝体に合わせて、「オールドスタイル大がな」のファミリーが制作された。
ニュースタイル(1951年)
石井細明朝体と組み合わされている和字書体として、「ニュースタイル小がな」が1951年(昭和26年)に制作されている。
1930年代−1940年代に制作された活字書体の雰囲気を醸し出している書体である。当時の時代性を取り込みながら、独自の感性に基づいた和字書体をつくりあげていったのだろう。
1955年(昭和30年)に「ニュースタイル大がな」が制作された。1970年(昭和45年)までに、石井太明朝体、石井特太明朝体、石井中明朝体に合わせて「ニュースタイル大がな」が順次制作されていった。
モダンスタイル(仮称)(1970年)
石井細明朝体縦組用かな・横組用かなは、縦組用かなと横組用かなの2書体あるかのようだが、4字ほどが違うだけで同じ書体である。スタイルの名称がないので、「オールドスタイル」「ニュースタイル」に合わせて、これを「モダンスタイル縦組用かな」「モダンスタイル横組用かな」ということにしよう。
もともとは、橋本和夫(1935− )氏が『日本レタリング年鑑』(日本レタリングデザイナー協会=現在の日本タイポグラフィ協会、1969年)に応募して入選した書体なのだが、石井細明朝体の和字書体として組み込まれた。
この書体が発表された当時は、和字書体の字面を大きくして漢字書体とあわせようとする方向であった。この後に開発された平成明朝体、小塚明朝なども同じようなコンセプトだと思われる。
オールドスタイル、ニュースタイル、モダンスタイル(仮称)というみっつの和字書体は、意図的に計画されたのではないが、結果として、それぞれの時代を代表する書体として位置づけられる書体である。