2014年07月20日

[見聞録]第5回 本蘭明朝、本蘭ゴシックの10年

●本蘭明朝ファミリーの10年
1985年。写研は創業60年周年を迎え、記念出版として『文字の宇宙』が発行された。そして、その年に発売されたのが本蘭明朝のファミリーであった。
 写研から本蘭明朝Lが発売されたのは1975年のことであるから、ファミリー化されたのは10年後である。本蘭明朝Lは優れた書体であったにも関らず、その普及には10年の歳月がかかったということだろう。本蘭明朝ファミリーが発売されると、それをきっかけとして一気に普及した。

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 本蘭明朝のファミリー構成は、本蘭明朝L、本蘭明朝M、本蘭明朝D、本蘭明朝DB、本蘭明朝B、本蘭明朝E、本蘭明朝Hの7書体である。本蘭明朝Uはない。これは、見出し用として大蘭明朝があったからであろう。
 本蘭明朝ファミリーの和字書体は鈴木勉さんが担当した。鈴木さんがはじめに着手したのはファミリーの中でもっとも太い本蘭明朝Hの和字書体だった。これが完成すれば、後は「IKARUSシステム」のインターポレーション機能で中間のウエイトを生成し、それに修整を加えればできあがるので、本蘭明朝Hの和字書体を先行させたのである。
 漢字書体は、和字書体とは異なり本蘭明朝Hから始めなかった。誰の発案かはわからないが、当初は大蘭明朝をベースにして、デジタイズの工程で筆法の違いなどを修整した「仮想本蘭明朝U」をつくり、インターポレーション機能によって本蘭明朝Hを含む中間のウエイトを生成しようとしたのだ。
 この作戦は失敗に終わった。見出し用として設計された大蘭明朝と、本文用として設計された本蘭明朝Lとでは根本的に異なっていることは当然のことだった。この基本的なことに気がつかなかったのだ。とくに大蘭明朝に太さの近い本蘭明朝H、本蘭明朝Eあたりに、大蘭明朝の影響が強くあらわれてしまった。
 私は直接このプロジェクトに参加していたわけではないので、この事態にどのように対処したかは覚えていないが、デジタイズの「仮想本蘭明朝U」の工程からやり直したのかもしれない。いずれにせよ、バタバタしていたことは確かだ。
 本蘭明朝ファミリーの漢字書体の修整作業は、岡田安弘さんがチーフとなって制作された。結果的には、想定以上に修整量が多くなっていた。和字書体と同じように、本文用書体である本蘭明朝Lから、見出し用の本蘭明朝Hまでを同一のイメージでまとめることに相当苦心されたのではないかと思う。

●本蘭ゴシック・ファミリーの10年
1989年、書体制作部門から多くの社員が離れていった。のちに字游工房を設立することになる鈴木勉さん、鳥海修さん、片田啓一さん、本蘭明朝ファミリーのチーフだった岡田安弘さん、現在モノタイプ社のタイプ・ディレクターである小林章さんをはじめ、多くの仲間たちが一挙に退社した。
 私は「写研祭」(社員と家族向けのイベント)の企画や、ある裁判の担当など、不慣れな仕事を命じられるようになった。そんな中で、もっともやりたかったのが「本蘭ゴシック・ファミリー」の開発である。
 これまで「IKARUSシステム」のインターポレーション機能を使って制作したゴナ・ファミリーや本蘭明朝ファミリーは、フィルムに出力したのちにアナログ原字として修整している。せっかくデジタル・データとなっているのにもったいないことだと感じていた。
 写研では、原字制作は「文字開発部」、文字盤製作やC−フォント製作は「文字部」(かつては「文字盤部」といっていたのだが、C−フォントの製作が加わったことで「文字部」となった)という組織になっていた。「原字制作は手で描くことが基本」とするのが社長の考えであった。
 私たちは、ワークステーションで直接修整できるようにしたいと考えていた。そのほうが効率的なのは確実である。なんとか原字制作の現場にもワークステーションを入れるように画策した。しかし、その計画は頓挫した。
 1995年に写研は創業70年を迎え、記念出版として『文字の祝祭』がつくられた。ある人からの「写研の書体を専用システムでなくても使えるようにする」という提案があったが却下されていた。「本蘭ゴシック・ファミリー」は間に合わなかった。

………

私が退社したのちの1997年、まず本蘭ゴシックUが発売された。それは私が思い描いていたものとは違っていた。本蘭明朝と同じコンセプトのゴシック体というのではなく、石井ゴシック体と同じデザインになっていた。とりわけ和字書体において顕著であった。
 本蘭細明朝体が1975年に発売されたとき、そのペアとして開発されたのは、石井中太ゴシック体をそのまま拡大した「石井中太ゴシック体L」だった。そのイメージを大切にしようと考えたのかもしれない。

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2000年には、本蘭ゴシックL、本蘭ゴシックM、本蘭ゴシックD、本蘭ゴシックDB、本蘭ゴシックB、本蘭ゴシックE、本蘭ゴシックH、本蘭ゴシックUの8ウエイトからなる本蘭ゴシック・ファミリーが発売された。10年かけて完成したとされていた。このとき、本蘭ゴシックUは全面的に改訂されている。
 なぜ、こんなことになったのか。そのあたりの事情についてはわからないので、関係者の証言を待ちたい。
posted by 今田欣一 at 08:17| 活字書体の履歴書・第2章(1984–1993) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする