2014年07月17日

[見聞録]第2回 ゴナとナールのファミリー・ヒストリー

●ゴナのファミリー・ヒストリー
ゴナUは中村征宏さんにより制作され、写研から1975年に発売し好評を得て、ゴナEが同じく中村さんにより制作された。中村さんが制作したのは、ゴナUとゴナEだけであり、それ以降のファミリー化は写研でなされた。

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 まず、ゴナOが写真処理技術を駆使して制作された。技術的なことは詳しく知らないが、レンズに特別な治具を取り付け、回転させることによってゴナEの原字を全体に太くしてネガ・フィルムを作成し、その上にゴナEのポジ・フィルムを正確に貼付けて縮小して、これを原字のベースとした。その上で、角が丸くなったのを修整し、全体的に太さなどを調整するなどしていった。ゴナOSは、ゴナOからさらに写真処理技術によって原字のベースを作成したものだ。ゴナOとゴナOSの修整作業に私も加わっている。
 ウエイトのファミリー化が促進される決め手となったのは、「IKARUSシステム」の導入によるものである。「IKARUSシステム」のインターポレーション機能によって中間ウエイトの作成が容易になったのだ。
「IKARUSシステム」のインターポレーション機能によって、すでに作成されていたゴナEと、新たに作成するゴナLの中間ウエイトの作成することになった。その段階をどうするかということの決定に際して、私も少し手伝っている。
 当初は、それまで最もファミリーが充実していた石井ゴシック体を参考にして、ゴナL、ゴナM、ゴナD、ゴナB、ゴナE、それにゴナUを加えた6段階として試作した。これに対して石井社長からゴナDとゴナBの間にゴナDBを制作することが提案された。
「ゴナDはデミ・ボールド、ゴナBはボールド、ではゴナDBは何だろう」とか困惑しながらもその提案にしたがった。ゴナDとゴナBの間に単にゴナDBを入れると、そこだけ間隔が詰まってしまうので、ほかのウエイトも調整し、ウエイトの間隔が均等になるように試作を練り直した。さらに、ゴナDBが増えたことにより、ゴナEとゴナUの間が空くことになったので、ここにゴナHが加えられた。こうして都合8ウエイトという今までにないファミリーが企画されたのである。
 まず、鈴木勉さんを中心としてゴナLの制作に着手した。このゴナLとゴナEのアナログ原字をデジタイズすることにより入力し、中間のゴナM、ゴナD、ゴナDB、ゴナBをフィルムで出力した。それを、それぞれのチームに振り分け、アナログの手作業で修整するというやり方をした。
 当時は、ワークステーションの数が少なかったのと、原字はアナログですべきだという社長の考え方もあって、ワークステーション上でアウトラインを修整することはできなかった。ひきつづき、ゴナUのアナログ原字をデジタイズにより入力し、ゴナEとのインターポレーションによってゴナHを出力、同じようにアナログの手作業で修整した。
 なお、ゴナINはゴナUに、ゴナLBはゴナOにシールを貼り込む方法で制作した。簡単そうに思えるが、じつは、これらの書体がそれまでのどの書体よりも時間と根気のいる作業であった。
 このようにして、ゴナ・ファミリーの完成を見たのは1985年であった。

●ナールのファミリー・ヒストリー
「ナール」は第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト(1970年)で第1位になった作品である。制作者は中村征宏さんである。中村さんはナールとナールDを制作し、それ以降のファミリー化は写研でなされたと聞いている。

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 まず、ナールとナールDの中間ウエイトとして、ナールLとナールMが制作された。まだ「IKARUSシステム」が導入される前であり、もちろんインターポレーション機能で制作したわけではない。私が入社する前のことなので詳しくは知らないが、おそらく写真処理技術を使って、原字のベースが作られ、それをもとに修整したのだと思う。また、ナールDをもとにして写真処理技術を使ってナールOが制作された。ゴナEをもとにしたゴナOとは、同じアウトライン書体とはいえ、太さが大きく異なっている。
 私が入社したのは、ちょうどナールEの制作が終わった頃だった。装飾的なファミリーの充実が図られた1985年にはゴナIN、ゴナLBとともに、写真処理技術を用いてナールOS、ナールSHが制作された。
 ゴナのファミリー化によって、「IKARUSシステム」のインターポレーション機能が使えることがわかり、ナールDとナールEとの中間ウエイト、すなわちナールDBとナールBの制作が企画された。すでにゴナDBが世に出ていたので、DBというウエイト表記にも抵抗がなくなっていた。石井社長もご自身の発案で開発されたDBというウエイトに愛着があったようで、ナールDBの制作はすぐに承認された。ところがナールBについてはゴー・サインが出されなかった。
 ナールDとナールEがデジタイズされていたので、「IKARUSシステム」のインターポレーション機能ではすぐに出力できる。ナールDBがあってナールBがないというのは収まりが悪いので、私も何度か提案したのだが、首を縦に振ることはなかった。その理由は未だにわからない。私の提案の仕方が悪かったのかもしれない。
 1995年にはナールHとナールUが加わり、ナール・ファミリーが完成を見ることになるのだが、それにしてもナールBが制作されていないのが心残りであった。
posted by 今田欣一 at 09:00| 活字書体の履歴書・第1章(1977–1983) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする