2013年12月12日

特別編 写植文字盤のできるまで

 先日、原宿の表参道画廊で開催されていた「Moji Moji Party No.5 写植讃歌」(株式会社文字道・主催)に行ってきた。年配の方が多いと思いきや、写植を知らない若い人で大盛況。写真植字機(スピカAH)による写植印字体験が受けていたようだ。
 話を聞いているうちに、「そういえば、最近は文字盤の製造過程について書かれたものがないなあ……じゃあまとめておこう……」と思った。なんせ20年近く前のことであり、同じ部とはいえ、他の課は秘密のベールに覆われているので、間違えていることがあるかもしれない。写研の製造工程であって、モリサワやリョービとは違うということも書き添えておきたい。
 写真植字機の文字盤には、大きく分けてメイン・プレートとサブ・プレートがあり、製造工程がまったく異なっている。メイン・プレートの製造工程はオートメーション化されているので、ここではサブ・プレートの製造工程の場合を記すことにする。なお、私が入社した当時の状況、組織について記している。

Kitchen17a.jpg
●写真植字機用文字盤(サブ・プレート)

[原字課]
 原字課は、第2工場の5階フロアの東側にあった。私が入社したときには30人ほどだったが、もっとも多かったときには40人を超えていたように思う。
 原字課では、書体見本に合わせて、原字を制作する。私が入社した当時は、ほぼフィルム原字だったが、以前は原字用紙に書かれていた。また社外のデザイナーの方には原字用紙で依頼し、社内でフィルムにしていた。原字サイズは、だいたいが48mmであるが、筆書系は34mm、ディスプレイ書体や欧字書体は80mmサイズで制作されることもあった。社外のデザイナーの方では、それぞれ書きやすいサイズで制作される場合もあった。
 石井茂吉初代社長が制作された「石井ファンテール」の原字を見たことがある。サイズは後述する原版サイズの17.55mmであった。まさに職人芸であった。「石井ファンテール」は石井ゴシック体の青焼きをベースにして、その上に墨入れしたものだったと記憶している。

[写真課]
 ここから第2工場4階フロアのクリーン・ルームでの作業になる。専用の無塵衣に着替え、手をしっかり洗浄して、エア・シャワーを浴びた上で、やっと入室できる。
 写真課では、原字を製版カメラで正確に1字17.55mmサイズに縮小する。

[原版課]
 原版課では、1字17.55mmサイズに縮小されたフィルムを、ガラス製の原版に貼りつけていく。サブ・プレートの場合には、両面テープで一枚(一字)ずつ手で貼るのである。文字の位置は、原字に引かれた上下左右のセンター・ラインを、ガラス製の原版に焼き込まれているセンター・ラインに正確に合わせる。このとき、文字盤コード、区切り線や枠、操作に関わる情報もフィルムにして貼り込まれる。
 製品となるものはガラス製の原版だが、テスト用の原版ではフィルム製が用いられていた。以前は、アルミ製の原版に印画紙を貼り込んでいたものもあったそうだ。

[写真課]
 原版は再び写真課にまわされる。こんどは17.55mmサイズの原版を、文字盤用ガラス(ガラスに感光材を塗布したもの)に焼き付ける。このガラスは屈折の少ない良質のものだそうだ。文字盤上の文字サイズは17Qである。手動写真植字機には17Qのレンズはなく、17Qでの印字はできなかった。

[整品課]
 整品課では、まず区切り線や枠などの色入れをおこなう。特殊な赤インクをシルク・スクリーンで印刷するのであるが、少数の場合には、烏口と定規を使って手作業で引かれる。この赤インクは光で感光せず、鮮やかなので採字するときにわかりやすくなる。
 つぎに拡大鏡にかけて、ネガ・ガラスにできたピンホールを埋めていく。地道な作業である。さらに投影機で拡大して一字一字検査する。ネガ・ガラスの傷や欠けをチェックして、不良品をふるい落とすのである。

[仕上課]
 いよいよ最終工程である。合格したネガ・ガラスには、カバーのガラスが貼り合わされる。2枚のガラスの間には充填剤が流し込まれるのだが、気泡が入らないようにするのがポイントだそうだ。貼り合わされたガラスは、四方を規格サイズに切り落とされ、枠付けされる。

[検査課]
 検査課では、完成した文字盤について、正しい位置に枠付けされているか、ピンホールや気泡が入ってないかなどの厳重なチェックが行われる。

 第2工場5階の西側のフロアには、全体的な工程管理や、在庫管理などをおこなう[管理課]や、技術面でさまざまな支援をおこなう[技術課]というセクションがあった。文字制作部、文字盤部をあわせて120人ぐらいの社員が従事していた。
 のちにデジタル・タイプの製作がはじまったので、統合して文字部となった。さらに書体設計と制作管理が分離されて文字開発部になるなど、組織変更が頻繁におこなわれた。文字盤製作のセクションはしだいに縮小され、デジタル・タイプ製作のセクションが拡大されていった。第2工場3階フロアの大半がデジタル・タイプ部門となり、関係者以外の立ち入りが禁止されていた。

現在どうなっているかについてはまったく知らないが、写真植字機用文字盤を製造していないことは確かである。


………

〔追記〕1
株式会社写研・埼玉工場の近くに行く機会があったので、ついでに写真を撮ってきました。

kitchen17b.jpg
●株式会社写研・埼玉工場 全景
左のビルがメインビル、後方の古くて白いビルが第2工場、その間の低いところが第1工場です。


kitchen17c.jpg
●第2工場(原字課は5階でした)

kitchen17d.jpg
●左手がメインビル、道路をはさんで右手が厚生棟
posted by 今田欣一 at 08:39| 事始◇活字と技術と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする