2013年06月20日

[航海誌]第16回 今宋

 石井賞創作タイプフェイスコンテストに応募するとき、その最終目標は第1位を取ることであった。商品化などは考えてもいなかった。それだけに第11回石井賞創作タイプフェイスコンテストで第1位をのがしたこと(第2位に終わったこと)は残念なことだったが、杉浦康平氏の審査員評に勇気づけられた。

私としては、二位の今田作品が気にいっている。トゲを持つ文字なのだが、宋朝体の気分を強調した独自のリズムが鋭角的で、魅力あるものと思うからである。

 そうして商品化することが決まった。じつは、喜びとともに「商品としてはどうなのだろう」ということが脳裏によぎっていた。第2位ともなると、心境は複雑だったのである。私が個人として第11回石井賞創作タイプフェイスコンテストに出品した書体を「第11回石井賞2位書体」、それをもとに写研で制作した書体を「今宋M」ということにする。
 「今宋M」という名称はしっくりとしなかった。宋朝体をイメージしてはいたが宋朝体ではない。国名や王朝名や姓名の「宋」とは関係ない。苦し紛れだが、もともとの意味の「住まい」のことだと勝手に解釈している。私としては「今竹(イマタケ)」を提案したのだが砕け散った。発音しづらいとの理由で不採用となったのだ。

 縦組専用書体としては、すでに石井宋朝体があったので、文字盤の配列については石井宋朝体に倣った。横組み用の約物などは制作していない。
 この石井宋朝体の制作にあたったのが、若き日の橋本和夫氏であった。橋本和夫氏は1935年大阪生まれで、1955年にモトヤへ入社した。1959年に写研へ入社し、石井宋朝体の制作にあたったそうだ。60年代から90年代の約30年間にわたり、本蘭明朝Lとそのファミリー、紅蘭細楷書とそのファミリー、曽蘭隷書などの監修にあたるとともに、これらの書体の和字書体の設計も担当した。1997年写研を退職後は、株式会社イワタの依頼に応じて、書体設計の監修を行っている。
 石井宋朝体について、橋本氏は次のように述べている。

「そのようにして、石井茂吉先生の指導・監修を受けながら、写研に入って始めた書体が、石井宋朝体です。途中で石井先生が亡くなられ、悲しい空白もありましたが、この書体の完成までには六、七年かかりましたね。僕が写研で始めたのが二四歳でしたから、終わったときは三〇歳になっていました。(中略)石井宋朝体は、宋朝体の概念をふまえながら、石井書体の思想が加味されて、それは優雅な宋朝体が生まれました。写植文字のデザインを勉強するために上京し、五、六年で大阪へ帰る予定でしたが、結局、僕は定年までの三五年余り、写研に勤めることになりました」(字游工房『文字の巨人』インタビューより)


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●「今宋M」の仮想ボディ

 写研のすべての書体のプロデューサーは石井裕子社長だった。当然のように「今宋M」へも指示があった。「第11回石井賞2位書体」は8/16emで設計していたのだが、石井宋朝体と同じにするようにということだった。広く使われるためには少し横幅が狭すぎると思ったので、10/16emまで広くすることにした。
 この変更により、漢字書体においては、掠法の左張り出し、磔法の右張り出しが少し短くはなるが、左右にまだ十分なスペースが保たれており、さほど影響はないと感じられた。長体にすれば8/16emと同じような状態ができることも確認できた。

 「今宋M」の漢字書体は私と2名の社員が制作にあたった。少数精鋭(?)である。作字合成法を駆使してまとめていった。メインプレートの原字から、第1外字文字盤(MSOH S1−S7)などを同じメンバーで制作することができた。

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●「今宋M」の書体見本

 問題は和字書体にあった。ほんの少し広くするだけなのだが、イメージが大きく違ってきたのだ。一字ずつの鋭さと固さがめだってしまい、組んだときの縦に流れる優しいリズムが失われてしまっていたのだ。「第11回石井賞2位書体」は漢字主導の書体だと思っていたが、日本語としてのイメージは和字書体によって決定づけられるようだ。
 8/16emから10/16emに広げたとき、「はらい」の角度が変わってしまうと、どうしても縦に流れるリズムがなくなってしまう。角度をやや立て気味にすることにより、視線のなめらかな移動が保たれるように工夫した。少なくとも8/16emから10/16emに変更することによる被害は、最小限にとどめられたのだった。

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●「今宋M」の縦方向のリズム

 専用欧文文字盤は作成していない。縦組専用で、長体という設計では、欧字書体を制作しても使い道がないという判断だった。ただし記号用として全角の欧字書体は制作している。全角の欧字書体を直線だけで制作したことは、今考えると、ちょっとやり過ぎだったと思っている。
 和字書体にしても、欧字書体にしても、「第11回石井賞2位書体」と「今宋M」との間で揺れ続けた。石井賞創作タイプフェイスコンテストで評価された書体から変えてしまうことはできないという気持ちが強かった。そのために、直線ということに固執しすぎたかもしれない。いや、実は変えてしまった方が楽だったのだ。実験的な書体を商品化することへの葛藤があった。

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●組み見本:「竹取物語」より

 「今宋M」にとって不幸だったのは、写研の手動機用文字盤としては最後の新発売書体となったことである。すでに体制はデジタル・タイプにシフトされつつあった頃だ。どさくさにまぎれるように発売されることになった。パンフレットさえ作られなかったし、積極的に広報活動もされなかった。
 縦組み専用ということで使用範囲が限定されたし、直線だけで構成された和字書体についても抵抗感があったのだろうと思う。あまり売れなかったのだろうが、少ないながら使用例が見受けられるのはうれしい限りである。

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●使用例:『むかしのはなし』(三浦しおん著、幻冬舎、2005年)
posted by 今田欣一 at 12:48| 活字書体の履歴書・第2章(1984–1993) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする