2013年06月02日

[コンペは踊ろう]第3章 書写から活字へ(4)

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●第15回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト 試作書体 1998年

 隷書体の硬筆書体はそれまで見たことがなかったので、自分の筆跡を基にしてフェルトペンで書いたが、その制作にあたっては、かつて謄写版印刷などで書かれていた手書きのゴシック体を参考にした。

 高校2年の時、ある雑誌を通じて全国から会員を募り、同人雑誌みたいなものを発行したことがあった。この同人雑誌を発行するために受講したのが、文部省認定社会通信教育「近代孔版技術講座」だった。謄写版印刷機を購入したが、当時でもこれを個人で持っているひとはいなかった。
 謄写版は孔版の一種で、俗にガリ版ともいう。ヤスリの上に原紙をおいて、鉄筆で文字を書くことからはじまる。鉄筆は謄写版印刷機用の文字を製版するための道具である。謄写版が主流だった時代、学校や役所の文章は、これで印刷されていた。その記憶が四半世紀を経てよみがえったのだった。

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●『近代孔版技術講座基礎科第1部テキスト』
 (実務教育研究所孔版指導部編集、財団法人実務教育研究所、1971年)

 孔版の基本書体は楷書体とゴシック体である。楷書体は斜目ヤスリ、ゴシック体は方眼ヤスリを使用する。私の購入したヤスリは、斜目ヤスリと方眼ヤスリとが、裏表になっているものであった。私はもっぱら方眼ヤスリを用いたゴシック体で書いたものだった。

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●「第3単元 ゴシック体」より

 ゴシック体といっても手書きなので、波磔のない隷書体のようでもあった。第15回試作書体では、少し隷書体であることを加味しながら制作していった。お手本としたのが『書道教範』(井上千圃著、文洋社、1934年)などの毛筆による隷書体だった。

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●『書道教範』(井上千圃著、文洋社、1934年)

 このテキストを参考にしてフェルトペンで書いたものを、ストリームライン(Adobe Streamline)でアウトライン化し、フォントグラファー(Fontographer)で修整していった。 「漢字エディットキット」で日本語のデジタル・タイプを作成し、日本語の文章でテストすることができた。


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【追記】

 第15回試作書体と並行して、孔版のもうひとつの基本書体である楷書体にも取り組んでいた。とりあえず漢字1006字だけの試用版を制作し、無料頒布しようという企画であった。これを「欣喜楷書・試用版」と呼んだ。引き続き、第15回試作書体も漢字1006字の試用版を制作した。これが「欣喜隷書・試用版」である。

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●「第2単元 楷書体」より

 佐藤豊氏の連載エッセイ「書体ウォッチャー」では、つぎのように紹介されている。

欣喜隷書・試用版の頒布開始! 2001/09/11
書体デザイナー今田欣一さんのサイト「欣喜堂」で、2つめの総合書体・試用版の頒布が始まっている。今度の書体は「欣喜隷書」。本文が組める隷書体だ。彼の総合書体3部作は、伝統書体の古典イメージを損なわずに、現代人にも読みやすく使いやすいように新しくデザインする、という方向性の書体シリーズだと思う。
 このような地に足をつけた地味な書体デザインこそ、活字や写植文字を専門に開発してきた古参フォントメーカーが本来やるべきことなのだと思うが、いまのフォントメーカーにそんな期待をしても…無理…のようだ。
 三部作の最後は「欣喜行書」らしい。私と同じように、彼もひとりで書体デザインをしているので、制作はそう簡単には進まないと思うが、3つの書体が完成したときには、何十年ものあいだ馬鹿のひとつ憶えのように明朝体に固執してきた書籍本文業界に、なんらかの刺激を与えるはず……と期待している。

 孔版の書体には行書体は存在しなかった。ヤスリの溝による制約があり、運筆に抑揚がつけられない孔版では、行書体を書くことはむずかしいのだろう。ただし欧字書体のスクリプトの見本が載っていたので、行書体もできないことはないと思った。

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●「参考と研究 英字」より

 「欣喜行書・試用版」は、もっぱら『書道教範』のペン字による行書体をお手本にして制作した。こうして、漢字書体1006字のレベルで「欣喜楷書・試用版」、「欣喜隷書・試用版」、「欣喜行書・試用版」の3書体の試作品が完成したのは2001年のことである。

 2003年に発売された『中国硬筆書法字典』(司惠国・王玉孝主編、世界図書出版公司、2003年)には硬筆の隷書がみられた。これを参考にして「欣喜隷書」を全面的に修整し「欣喜平」とした。同時に「欣喜楷書」、「欣喜行書」も見直し、これに伴って名称もそれぞれ「欣喜真」、「欣喜歩」に変更した。

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●『中国硬筆書法字典』(司惠国・王玉孝主編、世界図書出版公司、2003年)

 試用版の無料頒布期間が終了したのち、あらたに制作したのが「ストロベリー」「ラズベリー」「ブルーベリー」の硬筆書体三部作である。

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●「ストロベリー」「ラズベリー」「ブルーベリー」

 これらは、ほしくずやブランドで「いぬまる吉備楷書W3」「さるまる吉備隷書W3」「きじまる吉備行書W3」として継続されているが、まだ終わりが見えない。

※「いぬまる吉備楷書W3」「さるまる吉備隷書W3」「きじまる吉備行書W3」については、ほしくずやのウェブページにて。

[コンペは踊ろう]は、今回で終わります。
posted by 今田欣一 at 12:59| 活字書体の履歴書・第3章(1994–2003) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする