2013年05月06日

[コンペは踊ろう]第2章 横組み、縦組み(2)

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● 第10回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1988年

 第10回(1988年)石井賞創作タイプフェイス・コンテストには、井筒屋本『おくのほそ道』をベースに「文章を縦に書く」という和文の伝統を踏まえながらも、蟹行の和様体として試作したこの活字書体を応募した。これはコンテストが実験の場であるということを意識してのことであった。

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●『おくのほそ道』(松尾芭蕉、井筒屋、江戸中期刊)

 その応募にさいして添付した「制作意図」を井筒屋本『おくのほそ道』との関係という視点で再考してみよう。

◆並び線と斜体の実験
 構造のヒントになったのは欧字のイタリック体である。ローマ教皇庁に勤める書記官が様式化したルネサンス期の書法をもとにしたのがチャンセリー・バスタルダ活字で、それがフランスにつたわり、フランスにおいて「イタリアの」つまり「イタリック」と呼ばれるようになった。

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●『Il modo di temperare le penne』(アリッギ書、1523年)


 ライン・システムは、かな本来の伸びやかさと字並びの美しさを同時に表現することを可能にしてくれた。ユニット・システムは、字間のスペースを均等に揃えることを可能にしてくれた。また、イタリックにすることにより、一字一字が孤立することのないスムーズな視線の流れを作り出してくれた。これらの設定は、欧文をモデルにして成り立っているが、文字固有の形を生かすことが目的だった。


 ひらがなには「つ」のように平たい文字や「し」のような長い文字がある。まず、漢字を欧文の大文字に見立て、欧字のようにベース・ラインを設定し、和字の高さを三つのグループに分類した。「あ」など漢字と同じ高さのアセンダー・レターのグループ、「の」など漢字より低めのミーン・ラインを感じさせるショート・レターのグループ、「く」や「て」などベース・ラインを超えて伸びているディセンダー・レターのグループである。今までグループ分けをした例は、故ミキイサム氏制作の「アラタ」など幾つか存在する。このようなライン・システムは、和字本来の伸びやかさと字並びの美しさを同時に表現することを可能にした。
 和字では、例えば「い」と「り」では字幅が異なるので、欧文と同じように1文字ずつの字幅を規定して字間のアキを均一にしようというやり方がある。この書体では、最初からプロポーショナル・セットを前提にして設計した。当時は16ユニット・システムであったが、プロポーショナル・セットは文字固有の字幅を守りつつ字間のスペースを均等に揃えることを可能にした。
 欧字書体においても筆記体のイタリック体は傾斜しているが、和字書体の筆記体にも傾斜しているものがあり、縦組みで視線がスムーズに流れている。これを横組みにするとベース・ラインのようなものがかすかに感じられるのだ。


◆蟹行和様体の実験
 基本的には和様体をそのまま横組にすればいいのだが、和様体のままの省略形だと今は読めないものになってしまう。
 横組用としてラインを揃えることを考えると、楷書のように起筆・送筆・終筆をはっきりさせた方が落ち着くし読みやすくなる。そこで、和様体をベースにした行書と楷書の中間の書風になった。

 この上に行書のイメージを叩きこみたかった。ただし、それはコンテンポラリーでなければ意味がないのだ。どこまでも明るくおおらかなフォルム。何よりもさらに軽くて伸び伸びしたエレメント。筆勢を程良く感じさせてくれるウエイト。あくまで、新しい時代の感覚で押し切ろうとした。


 書体設計における最も重要なポイントは書風にある。結法だとか筆法だとか太さ調節だとかは、書風を形作るものなのである。タイプフェイスは空気のような方がいいという人もいるが、無性格ではない。書風でいえば、この書体は力強さがあまりなく、よりしなやかであっさりとした軽やかな書風だろう。

◆技術への挑戦の実験
 この書体では、新しい提案を数多くしている。特に漢字のボディが全角ではなく特定のセットを持つという発想は今までの常識ではなかったことなのである。つまり従来の組版ソフトでは対応できないということなのだ。結果的には漢字のセットが設定できるという機能がある、新しい機種のみで使用できるという制約のある書体になった。

 この書体は、文字列にこだわった書体である。一文字だけでは何もわからない。組むことによってのみ特徴の出る書体なのだ。タイプフェイスとしての新たな広がりが、感じられたらと思う。


 活字書体は、それだけでは成立しない。フォントとなり、データを作成する組版ソフトと出力するハードが必要となる。過去、活字書体はハード、ソフトの制約の中で制作されてきた。ハード、ソフトでできないことを補ってきたこともある。新しいハードができるたびに、線の太さなどを微妙に変えなくてはならなかった。逆にこの書体ではソフトのほうに対応をもとめた、めずらしいケースだろうと思う。

 この書体は、1988年、第10回石井賞創作タイプフェイス・コンテストで、第1位になった。

※「いまりゅう」制作については、「文字の厨房」にて。
posted by 今田欣一 at 19:30| 活字書体の履歴書・第2章(1984–1993) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする