『フレイへイドの風が吹く』(市原麻里子著、右文書院、2010年)は、箕作阮甫が主人公の小説です。この小説でキーワードとして使われているのが「フレイへイド(vrijheid)」というオランダ語のことばです。
『フレイへイドの風が吹く』をきっかけにして、箕作阮甫の軌跡をたどってみました。
◇フレイへイド紀行〈1〉 箕作阮甫旧宅(津山市)
●箕作阮甫旧宅(国指定史跡)
漢詩人・武元登々庵が学んだ閑谷学校のある備前市閑谷から、万葉風歌人・平賀元義の楯之舎塾のあった美咲町飯岡を経て、さらに吉井川をさかのぼると、津山市に入ります。そこには洋学者・箕作阮甫の旧宅があります。
箕作阮甫旧宅は、明治から大正年代にかけては鍛冶屋や豆腐屋などに使用されていたそうですが、「洋学者箕作阮甫が生まれ少年期を過ごした生家であり、その人格形成と活躍の素地に大きく影響を与えた場所」として、史跡として指定されています。
箕作阮甫は、幼少期に儒学を学び、文化13年(1816年)には京都に出て三年間医術を習得しました。文政6年(1823年)、江戸で宇田川玄真の門に入り、蘭学の習得に努めました。以後、学問研究のため三年間の江戸詰を経て、天保2年(1831年)には家族とともに江戸に転居、天保10年(1839年)には幕府天文台に出役しました。
◇フレイへイド紀行〈2〉 適塾
●適塾(国指定史跡・重要文化財)
地下鉄御堂筋線に乗り換えて淀屋橋で降りると、徒歩数分のところに史跡・重要文化財「適塾」があります。閑谷学校出身の大鳥圭介もこの適塾で2年間あまり蘭学を勉強しています。
適塾は、蘭医学者の緒方洪庵が大阪に開いた幕末第一の蘭学塾でした。文法のテキストには『ガランマチカ』、文章論のテキストには『シンタキス』がもちいられました。これらはオランダで発行されたオランダ語の書物ですが、箕作玩甫によって『和蘭文典 前編』および『和蘭文典 後編』として木版で翻刻されていました。
これらをまなんだのちに、会読(同じ書物を読み合って、その内容や意味を研究し論じ合う)に加わることになります。会読は各級ごとに5日おきぐらいにおこなわれます。
会読にもちいる原書は一部しかないために、塾生たちは各自で筆写して予習したそうです。
●『和蘭文典 前編』(ガランマチカ)
オランダで刊行されたオランダ語文法の教科書(Grammatica of Neederduitsche spraakkuunst)を、天保13年(1842年)に箕作阮甫が筆記体による整版(木版印刷)で翻刻した。適塾ではこの『和蘭文典 前編』が初心者用のオランダ語教科書として用いられ、半年で修了した。
●『和蘭文典 後編』(シンタキス)
オランダ語構文の教科書(Syntaxis of woordvoeging der Nederdutische taal)で、『和蘭文典 前編』と同じく、箕作阮甫が筆記体による整版(木版印刷)で翻刻した。『和蘭文典 前編』を終えた者が引き続きオランダ語の構文を学習するための教科書で、『和蘭文典 前編』同様、適塾では半年間で修了した。
◇ フレイへイド紀行〈3〉 蕃書調所跡(東京都指定旧跡)
箕作阮甫は、アメリカ合衆国使節ペリ―来航時の外交文書の翻訳、ロシア使節プチャ―チンが長崎に来航したときの外交書簡の翻訳に携わっています。安政3年(1856年)には蕃書調所教授職となっています。蕃書調所跡(東京都指定旧跡)は、九段下駅の近くにあります。
蕃書調所は、江戸幕府の洋学研究と教育のために設置された機関です。洋書洋文の翻訳・研究、洋学教育、洋書・翻訳書などの検閲、印刷・出版などにあたりました。担当する教授方に箕作阮甫ら著名な洋学者が任ぜられたのです。
当初、設置科目は蘭学1科でしたが、英・仏・独の外国語、および科学技術部門諸科がつぎつぎに開設されています。のちに開成所と名称を変えました。大鳥圭介も開成所教授をつとめています。