2013年04月28日

[航海誌]第9回 紅蘭細宋朝(簡体字・繁体字)

 私が今までに携わった書体の中でもっとも魅せられた書体は、「紅蘭細宋朝」である。当初中国倣宋と呼んでいたのが、のちに「紅蘭細宋朝」と名付けられた。現在では見本帳などに掲載されていないので、「まぼろし」になっている。私の記憶のなかだけに存在している書体になってしまった。

 上海の代表的な印刷会社の所有する楷体(楷書体)、倣宋体(宋朝体)、宋体(明朝体)、黒体(ゴシック体)などの簡体字・繁体字文字盤を制作することになった。このうち宋体(明朝体)、黒体(ゴシック体)などは制作2課(旧原字課)ですすめられたが、楷体(楷書体)と倣宋体(宋朝体)は橋本和夫氏を中心としたプロジェクト・チームが結成された。制作1課(旧開発デザイン係)の私も、急きょ倣宋体の制作に加わることになった。制作したのは確かなのである。
 倣宋体(宋朝体)の制作には数名のスタッフがあたることになった。橋本氏の指導のもと、練習をしてから本作業に入ることになった。漢字書体の制作は、数名のスタッフのよってチームが組まれるため、担当者の誰がやっても同じ設計にならなければならない。
 筆法の解釈に個人差が生じやすい書体だった。たしかに同じ文字を修整したものを並べてみると、スタッフそれぞれが違う解釈をしていたので、このままでは同じ書体として統一できないというありさまであった。ここにいたって、はじめて書体に対して純粋に向き合うことができる。ほんのささいな筆法の解釈の差によって、そのイメージが大きく変わってしまうことを思い知った。
 書体見本に合わせればいいだけのことだが、これがいちばん難しい。筆法・結法・章法を理解したうえで実践できなければならない。形状だけをいくら合わせようとしてもうまくいかないのである。問題は書風をたたき込むことが重要なのである。
 活字書体は、見るだけよりは実際に手を入れてみるとなお理解できる。それを言葉で説明するのは難しい。「紅蘭細宋朝」は私の心の中に存在するのではなく、私の手が覚えているとしたら喜ばしいことだ。経験が何よりの財産としたいものだ。

 中国倣宋体は中文書体(簡体字、繁体字)にとどまった。「紅蘭細宋朝体」という名称で、現場では商品化の準備がなされていた。和字書体も試作されていたと記憶している。しかし発売には至らなかった。これは写研トップの営業的な判断によるものである。企業としては「文化的事業ということだけで開発をすすめることはできない」ということだろうが、私としてはがっかりである。
 写研には石井宋朝体という書体があった。この宋朝体は名古屋・津田三省堂からの依頼によって同社の長宋活字を復刻したものであるが、石井宋朝体は長宋活字のシャープをふまえながらも石井茂吉氏の思想が加味された品位の高い書体になっていた。もともとは金属活字の版下として設計されたようで、写真植字では細身すぎてあまり使用されなかった。そのためか、写研トップの判断で、文字盤用の原字からデジタル・タイプ(C-フォント)化されなかった。『タショニム・フォント見本帳No.5A』にも掲載されていない。
 活字書体が目的に応じて使い分けをされることを希望する。本文用書体としての漢字書体としても「紅蘭細楷書」は魅力的であると思う。それ以上に「紅蘭細宋朝」も本文用書体として新しい可能性を広げられたのではないかと、今でも思っている。
posted by 今田欣一 at 21:06| 活字書体の履歴書・第2章(1984–1993) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする