2013年04月26日

[コンペは踊ろう]第1章 装飾書体の時代(4)

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● 第7回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1982年

 第7回(1982年)石井賞創作タイプフェイス・コンテストには、濃淡を単線スクリーンからのヒントでえられた階調であらわしたこの活字書体を応募した。その根底には隷書碑があった。田鶴年刻「鮮斎永濯碑銘」にみられる筆圧と筆速をベースにしているのだ。その応募にさいして添付した「制作意図」を「鮮斎永濯碑銘」との関係という視点で再考してみよう。

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●「鮮斎永濯碑銘」(1902年 亀戸天神社)

◆筆圧・筆速を濃淡に置きかえる
 応募のときに添付する制作意図には、次のように書かれている。

 運筆に従って、力の入る部分と抜く部分に濃淡をつけ、階調のある表情豊かな書体を作りあげた。印刷の「単線スクリーン」(再現性に欠けるため、今はあまり使われていない)を応用し、文字のフォームをもっとも忠実に表現できるよう、ラインを45度、2.5mm間隔に設定した。


「運筆に従って、力の入る部分と抜く部分に濃淡をつける」とは筆圧による深浅を濃淡に置きかえるということを意味する。「階調のある」とは筆速の変化がなめらかな階調になるということである。もともとの隷書の運筆をゴシック体に応用して、筆圧と筆速に変化をつけ、立体的、平面的なあらたな広がりを感じさせることができたのである。
 この書体の筆法はゴシック体と同じ等線であるが、筆圧と筆速というものを内部に持っている。ゴシック体の中には、起筆と終筆にアクセントを付けることにより筆圧と筆速が表現されているものもあるが、この書体では筆圧と筆速というものをアクセントではなく濃淡で置きかえた。起筆は濃く、送筆は薄く、終筆はまた濃く、すなわち力を入れた時は濃くなり、力を抜いた時は薄くなるということであった。濃淡のベースになったのが隷書体なのである。
 活字書体で濃淡を作る手段として考えたのが単線スクリーンであった。網目スクリーンや砂目スクリーンでは、活字書体として実現することがむずかしかったということもあるが、なによりダイナミックなイメージが魅力的だったのである。この書体は単にウルトラ・ボールドのゴシック体にトーンを付けただけではないのだ。

◆薬研彫か円彫か、切り画彫か通し画彫か
 石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募のときに添付する制作意図は、さらに次のように続いている。

 刺激的でチラチラするというイメージが強すぎないように、文字のフォームは、現代的な表情の中にいくらかマイルドな味をつけてみた。同様に、エレメントも紡錘形を基本として濃淡を調整、先端部に太さをもたせて、視覚的な「線の歪み」を抑えた。


 最初の試作では「菱形」を並べて作った。菱形というのは薬研彫をイメージしていた。紡錘形というのは円彫なのではないかと考えられる。最初の試作の段階では、ひとつひとつのパーツは菱形になっていた。画線の中央部が一番濃くなっている。つまりいちばん深くなっているということになり、いわば薬研彫の状態であった。
 しかし薬研彫のようにつくられた文字は、目に痛いほどチラチラしていた。錯視による線の歪みも激しいもので、とても品位など感じられなかった。活字書体で薬研彫を再現することは無理があった。菱形から紡錘形へ、薬研彫から円彫へ……この変更で悩んでいたことが解決した。視覚的な線の歪みをある程度おさえてくれ、美しい階調が表現できたのだと思う。
 文字の結構はオーソドックスなゴシック体をベースにした現代的なスタイルである。単線スクリーンの応用ではイラストレーションのような効果をもっているので、結構は比較的おとなしくしてバランスをとった。
 オーソドックスな結構にしたことにより、かえって筆法のダイナミックさが強調されたように思われる。もちろん、ウルトラボールド・ウエイトだからこそ、オーソドックスな結構だからこそ、可能になった筆法である。
 最初の試作の時から設定されていた45度ラインは、縦画、横画、磔法などを生かし、犠牲を掠法のみの最小限に食い止める措置であった。またラインの間隔も、単線スクリーンの効果と判別性とを考えて決めた。
 印刷での階調は、写真などの原稿があって成立している。この書体の場合、もともとの階調までも手作業で描かねばならないし、少しの乱れも許されない。しかも画数の多い漢字では、判別性を維持するだけでも難しいことであった。
 この書体は、制作においてかなり制約を持っている。それを微妙な調整によって、書体としての品格を保とうとしているのである。一番苦心したのは掠法であった。45度ラインと平行になり、そのうえカーブしているため、濃淡と字形を自然に再現するためにかなり調整した。全体的には、ゴシック体としてのエッジのシャープさに特に気をつけてデザインした。
 斜め45度に並べた紡錘形のひとつひとつの膨らみによって作りだされた「起筆・送筆・収筆」の濃淡によって筆勢を表現することで、膨らみ具合の調整を間違えるともう文字には見えなくなる。自然な味わいで描写することが必要なのである。
 字画の処理の仕方から見た分類として、切り画彫と通し画彫がある。これは薬研彫にも円彫にもあるので、切り画薬研彫、通し画薬研彫、あるいは切り画円彫、通し画円彫があるということになる。切り画彫は、先に彫られた画に突きあたる少し手前で一部を残して彫りをとめる。また画の一部を共有するときには、一本は完全な姿に彫り、他は削りとられた姿に一部を残して画を彫りわける。
 通し画彫は、先に彫られた画を意識することなく、先の彫りに突きあたっても彫りの調子を変えることなく彫りすすめる。つまり交差する2本の画の共有部分は、両方からけずりとられた姿になる。この書体は通し画彫のようになっている。碑刻とはことなり、この書体では切り画彫のほうがハーフトーンの調節は簡単だと思われる。通し画彫のほうがひろい面積でハーフトーンをつくらなければならないからだ。
 1字1字や書体全体のウエイトをコントロールして、視覚的にフラットで不自然な濃度ムラのない面を作り出さなければならない。これが乱れると、ノイズとなって人々に不快感を与える。

◆適正印字サイズ
 制作意図は、印字サイズに対する条件で締めくくっている。タイプフェイスは最終的には印刷されて初めて人々の目に触れる。これは実験の場であるコンテストでも意識されなければならない。

 小級数では、線質の悪いゴシック体のようにしか見えないので使用できない。組みあがりがハーフトーンになれば最も効果的であり、そのためにも50Q以上で印字してほしい。


 この書体は見出用としてもちいるために制作したので、50Q以上で印字してほしいとの条件を、主催者へのメッセージとして書いている。ただ作品集などでは、フォーマットが統一されているために50Q以下で印字されたのはやむをえないことだった。

 この書体は、1982年、第7回石井賞創作タイプフェイス・コンテストで、第1位になった。

※写研での「ボカッシイ」制作については「文字の厨房」にて。
posted by 今田欣一 at 19:05| 活字書体の履歴書・第1章(1977–1983) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする