
●新人研修で練習した石井太ゴシック体
『広漢和辞典』のための石井細明朝体の制作が終わると、私は石井中ゴシック体の修整作業のチームに入った。石井中ゴシック体という書体の名称は変わらないが、文字盤コードではMGからMG-Aへのリニューアルである。石井太ゴシック体はすでにBGからBG-Aへの修整は終わっていたと思う。欧字書体で言えば、「○○ネクスト」、「○○ノヴァ」、「○○ネオ」とするところなのだろう。活字書体は、その時代や技術の変化に対応して、常にリニューアルしていかなければならないものなのだ。
石井中ゴシック体は、写真植字機研究所社長の石井茂吉氏が昭和29年に完成させた書体である。およそ四半世紀を経てのリニューアルである。この書体について、『文字に生きる<写研五〇年の歩み』(文字に生きる編纂委員会、株式会社写研、1975年)に次のように書かれている。
細明朝が辞典や書籍に使われるようになると、小見出しや本文中の強調部分に使用するゴシック体が戦前に制作された太ゴシック体では太くて強すぎて、細明朝体に合わない。ユーザーからも印刷効果の上から太ゴシックより細いゴシックの要望が多くなった。
この中ゴシックは、縦・横線が太ゴシックの約4分の3の太さで書かれ書風は太ゴシックと同じであった。組んでみると本文に使われる11級、12級でもつぶれることなく、印刷効果は大変よかった。発売と同時に写真植字機設置の各社がただちに購入し、本文の強調部分や見出しに、それから以後、非常に多く使われ、写真植字独特のものとしてもてはやされた。
石井中ゴシック体の筆法は、起筆・収筆が大きく喇叭状に開いていることだ。これがなかなかのくせ者で、上下や左右のバランスがくずれるとまっすぐには見えなくなる。その開き具合も画数によって違ってくる。この調整には、溝引きという技法が役に立った。
道具というものは、自分の使い勝手がよくなるように手を加えて使うものである。まずは溝引定規である。ガラス棒との組合せで、おもにカーブを描くときに重宝するものだ。ちなみに直線部分は、おもに烏口をもちいる。ガラス棒と面相筆とを、箸を持つ要領で固定し、溝引定規の溝に沿わせる。
溝引定規を回しながらカーブを描くわけだが、慣れれば手放せなくなる。この溝引定規は、裁縫のときに使う竹製の溝が切ってある30cmの定規をもちいる。これを半分に切断して、その両端にビニールテープを巻き付けたり、ゴム板を張り付けたりしていた。空間を作って、こすらないようにする工夫である。

●当時使用していた書体制作の用具(再現)
石井中ゴシック体の制作において、とくに難しいのは太さの調整である。同じ書体でも画数によって太さの取り方が変わってくるし、位置によっても違う。石井細明朝体の場合には、横画は原字上で1mmと決まっていたが、横画と豎画ともに調整しなければならない。
修整には、フィルムでは修整刀をもちいる。かつては、鋸の歯を加工して手作りしていたようだが、私が入社していたころは、スクラッチ・ボードなどに使うカット・ペンを、ペン軸に差し込んで使っていた。これを荒砥石で斜めにし、オイル・ストーンで研いで使っていた。
修整刀の場合、カーブの修整はフリーでおこなうが、直線の部分はスチールの字消し板をもちいる。字消し板というぐらいで、もともとは文章中の文字を訂正するときに使うものだが、ここでは外形の直線部分を利用していた。
おもな修整作業は画質をきれいにすることであったから、結法(フォルム)は原字(MG)のままというのが基本だった。それでもアウトラインを書き直すことになるので、簡単な作業でもない。最後に章法、すなわち文字のセンターを決める作業をすることは、どんな書体でも共通している。
このときは手動機文字盤としてのリニューアルであったが、これがデジタル・タイプ(Cフォント)化されるにあたっては、かなりの作業時間を要しているはずだ。オープン・タイプにすることは、同じデジタル・タイプとはいえ、それほど容易なことではないはずだ。