2023年06月15日

[余聞1]復刻書体から始まった

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『ユリイカ』2020年2月号に「活字書体設計としての復刻、翻刻、そして新刻」という文章を寄稿しました。といっても、新しく書いたものではなく、私がブログで書き散らかしていたものを、編集部でうまくまとめていただいたものです。
じつは執筆の依頼があったのは2021年12月下旬でした。多分、どなたかに断られて代役として指名されたのでしょう。私もまた年末年始休暇でインターネットの環境がないところにいるため、お受けするのは難しいとお断りしました。締め切りも迫ってきており、どうしてもということだったで、ブログをまとめてもらうという提案をしました。

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この寄稿した文章(エッセイと書かれています)について、ある人から苦言が呈されました。あの大きな動きが発表される少し前のことです。
「何をいまさら写研の書体のことを書いているのか。写研を自慢に思っているようだけど、写研の書体なんてもう終わっているんだよ。(欣喜堂書体から書けばいいものを……。)おまえはバカなんだよ。そもそも俺は写研が嫌いだ。写研の営業は傲慢で、写植屋は泣かされていた。いくら分割払いにしてくれと言っても、一括でなければ売らないと言われた。そういう融通の効かない会社だった。(以下省略)」
ただ黙って聞いていましたけど、私としては、会社がどうこうということではなく、20代前半、入社2年目から数年間担当していた復刻書体――秀英明朝(漢字書体)、かな民友明朝/かな民友ゴシック(和字書体)、ヘルベチカ/オプチマ/ユニバース(欧字書体)――が原点だというのは確かなことです。
その人が描いているストーリーではなかったかもしれないけど、それらの復刻書体から私のタイプデザイナーとしての人生が始まったことに間違いありません。編集部でもそれを汲んでいただいて、カットしないでまとめてくれたのだと思います。

これらの復刻書体について、いろんな方が推測で書かれています。
(秀英明朝は)石井特太明朝の影響を受け過ぎているのではないか
(かな民友明朝/かな民友ゴシックは)小さくしても大丈夫なように調整されていた
(ユニバースの)ライセンスはたぶんに名目上のものにとどまっていたようです
異議申し立てをするというほどではないのですが、当事者として、本当のところを資料に基づいて書き残したいと思っているだけです。
posted by 今田欣一 at 20:04| 活字書体打ち明け話・1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月08日

[余聞3]2002年の制作資料ファイルから

2002年に和字書体の制作を担当した「花胡蝶」「花蓮華」「花牡丹」(当初はRA宋朝体、RA楷書体、RA隷書体と呼んでいた)の制作過程の出力物などをまとめたファイルが残されていました。当時はFAXでやり取りをしていたのですね。
宋朝体「花胡蝶」および楷書体「花蓮華」、隷書体「花牡丹」は、リョービ「伝統書体シリーズ」としてリリースされました。ファミリーも含むと全部で7書体です。それらの制作過程がわかる資料として貴重だと思います。

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RA宋朝体L、M、B
全数印字テスト(16Q、24Q)
文章組テスト(16Q、20Q) ※『銀河鉄道の夜』より
全文字全組み合わせテスト(17Q)
修整用チェックシート

RA楷書体L、M、B
全数印字テスト(16Q、24Q)
文章組テスト(16Q、20Q) ※『銀河鉄道の夜』より
全文字全組み合わせテスト(17Q)
修整用チェックシート

RA隷書体D
全数印字テスト(16Q、24Q)
文章組テスト(16Q、20Q) ※『銀河鉄道の夜』より
全文字全組み合わせテスト(17Q)
修整用チェックシート

※RA宋朝体Lbのbは修整回数を表す。b=2回目、c=3回目、d=4回目、……。


私の勝手な思いではありますが、かつてできなかった「紅蘭グランドファミリー」のリベンジを、この「伝統書体シリーズ」で果たせたと思っています。そして私の40代の代表作となったのです。
posted by 今田欣一 at 09:13| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月07日

[追想3]1999年の企画提案書から

1999年に、あるフォントメーカーにプレゼンした「企画提案書」(書体名はありません)を発掘しました。

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この頃は、これぐらいの字数を試作してフォントメーカーにプレゼンし、採用になったら契約し、制作費をもらいながら月単位で納品していくというやり方でした。当時はポップ系書体が求められていたので、いくつかの書体を提案したのを覚えています。
採用になったのは、「ぽっくる」だけでした。「ぽっくる」はリョービイマジクス株式会社と契約して制作しました。現在は株式会社モリサワに譲渡されています。
大体不採用でしたが、この書体の「企画提案書」が残されていました。他は捨ててしまいました。他の書体もMOにはあると思うのですが、今は見ることができません。まあ、不採用になるレベルの書体でしたね……。

ただ、こういった積み重ねが、RA宋朝体、RA楷書体、RA隷書体、のちの「花胡蝶」「花蓮華」「花牡丹」の和字書体制作へとつながっていったのだと思います。

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鶴ヶ島市庁舎落成記念「創生」(1982年、小坂圭二制作)×「花胡蝶」

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鶴ヶ島市庁舎落成記念「朝凪」(1990年、本子汲五制作)×「花蓮華」

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鶴ヶ島市庁舎落成記念「ゆめ」(1990年、横山時二制作)×「花牡丹」

posted by 今田欣一 at 08:16| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月06日

[追想3]1996年のリーフレットから

会社設立前の1996年10月に、独立の挨拶とプレゼン資料を兼ねて「KINKI TYPEFACE LIBRARY」を作成しました。

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このとき「今田欣一デザイン室」という屋号を使いはじめ、このまま「有限会社今田欣一デザイン室」として登記しました。また、書体名で「欣喜」を使ったことから、のちにブランド名として「欣喜堂」という名称を使うようになりました。
「KINKI TYPEFACE LIBRARY」には次の9書体について、種田山頭火の「この道しかない春の雪ふる」という俳句を組んで(ただ並べているだけですが)掲載しています。
[ベーシック・タイプ]欣喜明朝/欣喜ゴシック/欣喜ラウンド
[カリグラフィ・タイプ]欣喜楷書/欣喜隷書/欣喜行書
[ディスプレイ・タイプ]欣喜江戸文字/欣喜図案文字/欣喜現代文字


当時は[ディスプレイ・タイプ]の要望が強く、採用されたのは「欣喜図案文字」、のちの「イマリス」だけです。「イマリス」は株式会社ニィスと契約して制作しましたが、現在は販売されていないようです。
「欣喜江戸文字」も不採用でしたが、のちに『タイプフェイスデザイン漫遊』(2000年)という本のためにウエイトを変更した書体を試作しました。「鶴舞」という書体名で、フォントデータが残っていました。フォントデータが残っていたのは「鶴舞」だけです。
[ベーシック・タイプ]のうち、「欣喜明朝」と「欣喜ゴシック」はあるフォントメーカーで検討していただきましたが、結局不採用でした。やはりフォントメーカーでは、外部の者がこのような基本的な書体を担当するというのは無理だったようです。「欣喜明朝」は「ときわぎ白澤明朝」、「欣喜ゴシック」は「ときわぎ白澤呉竹」として継承していますが、今後、制作する予定はありません。「欣喜ラウンド」は和字書体「ロンド」として販売しています。

全く注目されなかったのが[カリグラフィ・タイプ]の「欣喜楷書」「欣喜隷書」「欣喜行書」です。私としては当時一番推していたので、自主制作でそれぞれ漢字1,000余制作し、無料頒布していた時期がありました。これが現在の「いぬまる吉備楷書」「さるまる吉備隷書」「きじまる吉備行書」になっています(販売していません)。

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posted by 今田欣一 at 08:27| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月05日

[余聞2]本蘭と紅蘭を満開にするために(できなかったけど)

私が38歳のとき(1993年)のインタビュー記事を発掘しました。いまさら自慢話みたいで恥ずかしくないのかと言われそうですが、どういう立場だったかという証明のために、あえて掲載することにしました。

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記事には直接書かれていませんが、文字開発部企画課のメインの仕事は、本蘭書体と紅蘭書体の企画でした。いわゆる「種を蒔く仕事」で、育成、収穫は別のセクションということです。のちに文字開発部デザイングループになり、育成、収穫も担当することになるのですが、私は1996年に退社したので、その後どのようになったかは詳しくはわかりません。書体見本帳などで確認しているだけです。

本蘭グランドファミリーの企画

「本蘭明朝ファミリー」(すでに発売されていました)
1975年:本蘭細明朝発売(1985年:本蘭明朝Lに改称)
1985年:本蘭明朝M、D、DB、B、E、H 発売

「本蘭ゴシックファミリー」
1991年ごろから文字開発部企画課にて企画
1995年:本蘭ゴシックUの広告
【以降は、私の退社後……】
1997年:本蘭ゴシックU発売(2000年:本蘭ゴシックU改訂版発売)
2000年:本蘭ゴシックL、M、D、DB、B、E、H 発売

「本蘭アンチックファミリー」
1991年ごろから文字開発部企画課にて企画(当初は本蘭横太明朝と言っていたが、のちに本蘭アンチックに改称)
1992年:元写研大阪営業所ビル「定礎」の文字に使用
1995年:本蘭A明朝Uの広告(本蘭アンチックを本蘭A明朝として発表)
【以降は、私の退社後……】
※結局、発売されず

紅蘭グランドファミリーの企画

「紅蘭楷書ファミリー」(2書体がすでに発売されていました)
1985年:紅蘭細楷書、紅蘭中楷書 発売
1991年ごろから文字開発部企画課にてファミリー化を企画
【以降は、私の退社後……】
1997年:紅蘭太楷書、紅蘭特太楷書 発売

「紅蘭宋朝ファミリー」(中国語としてすでに発売されていました)
1985年:仿宋体(簡体字版、繁体字版) 発売
1991年ごろから文字開発部企画課にて(日本語の)紅蘭細宋朝を企画
【以降は、私の退社後……】
※結局、発売されず

posted by 今田欣一 at 06:43| 活字書体打ち明け話・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする