2023年06月25日

[余聞3]ゴシック体を毛筆で書くと……(花牡丹に寄せて)

隷書体もまた漢字だけで、日本語の漢字かな交じり文を組むことのなかった書体です。楷書体はまだしも、隷書体の和字書体なんて前例が少ないのです。カタカナはともかく、そもそも隷書の筆法でひらがなを書くのは不自然だし、かといって楷書体の和字書体を転用するというのも無理があります。
色々考えた末に行き着いたのは既存書体のゴシック体でした。ゴシック体に組み合わせている和字書体は、すでに見慣れているので抵抗がありません。これを書写で再現すればいいのではないかと考えたのです。謄写版印刷の「孔版ゴシック体」、地図などで使う「等線体」も同じ方法ではないでしょうか。

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発注元であるリョービのゴシック体を参考にして、まずは毛筆で書いてみることから始めました。楷書体の和字書体では筆の穂先が外にあらわれる(露鋒)書き方ですが、ここでは、筆の穂先を見せずに丸め込む(蔵鋒)書き方にしました。こうすることにより、筆は右上りではなく水平に運びやすくなります。また、太さを均一に保つように、緩急をつけず最後まで力を抜かないように留意しました。
それをベースに、無理に漢字書体に合わせるのではなく、抑制のきいた筆法とオーソドックスな結法を追求しつつ、彫刻という工程、すなわちアウトラインを調整しながら制作したのが「花牡丹」の和字書体です。彫刻系の楷書体「花蓮華」の和字書体と対をなす隷書体「花牡丹」の和字書体として、長い文章でも使えるのではないかと思います。
posted by 今田欣一 at 06:45| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月24日

[余聞3]書写の楷書体、彫刻の楷書体(花蓮華に寄せて)


ある人が言いました。
「タイプデザイナーは縁取りをしてから中を塗りこんでいる。こういうのは双鉤填墨と言って、書道ではやってはいけないこととされている」
書家の受け売りなのでしょうが、双鉤填墨法も書写の複製法として確立している方法だと思います。どうも書道が格上で、タイプデザインは格下という思い込みが強いようです。
そもそも印刷の文字は、木版印刷でも金属活字でも彫刻という工程があります。石碑も印判も彫刻されています。彫刻するとき、だいたいアウトラインを整えることによって、印刷される部分とそうでない部分を分けています。
現在のデジタルタイプにおいても、アウトラインを描くことでグリフを作っていきます。彫刻することによって、肉筆から放たれ、客観的に読むことができるようになると考えられます。

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日本では楷書体というと毛筆で書かれた肉筆を想像することが多いようですが、中国で作られた楷書体は筆書系ではなく、清代の木版印刷の字様を起源とする彫刻系だと思われます。私は筆書系の楷書体と区別するために、彫刻系の楷書体を「清朝体」と呼ぶようにしています。
「花蓮華」の漢字書体は、台湾で制作された彫刻系の楷書体です。それと組み合わせる和字書体は、やはり彫刻系がいいのではないかと考えました。
そこで以前、古書市で買っていた明治期の木版教科書『尋常小学修身教範巻四』(普及舎、1894年)の字様を参考にすることにしました。こうして制作したのが「花蓮華」の和字書体です。
posted by 今田欣一 at 08:21| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月23日

[余聞3]宋朝体は明朝体の祖先だから……(花胡蝶に寄せて)

「松本第一期 文字塾展」が、2023年6月4日から10日まで松本市のマツモトアートセンターで開催され、大盛況だったそうです。その展示作品を収録した冊子を送っていただきました。
注目したのは、第一期の塾生の中で、宋朝体と組み合わせるための和字書体に取り組んだ人が2名もいたことです。前例のひとつとして「花胡蝶」も当然、チェックされていたでしょう。そして終了後の懇親会でも、その話題があったようです。私としては「花胡蝶」がどのように語られ、評価されていたのでしょうか。

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明朝体も宋朝体も、もともと漢字のみで組まれていました。わが国では、明朝体は本文用として広く使われるようになったので、それに伴い、組み合わせる和字書体も発展していきました。現在では前例がたくさんあり、新しい書体にしても、それらを参考にして制作することができます。ところが宋朝体には前例があまりないのです。
木版印刷からの漢字書体の歴史を考えた時、宋代の刊本字様(宋朝体)が合理化されることにより、明代の刊本字様(明朝体)が生まれたことはすでに知られていることです。組み合わせる和字書体を考える時に、すでに明朝体と組み合わせる和字書体は完成されていることから、そこから歴史を遡ることで、宋朝体にふさわしい和字書体になるのではないかと考えたのです。
「花胡蝶」の和字書体を設計するにあたり、私が参考にしたのは、金属活字の「晃文堂明朝体五号」です。たまたまある雑誌に清刷りの複写物が掲載されていて、リョービ書体の源流ということもあり、これを参考にしようと思いました。漢字とは逆に、時代を巻き戻すように、具体的には、漢字の宋朝体の筆法・結法を和字書体に取り入れながらまとめていきました。
こうすることによって、あまり特徴はないかもしれませんが、宋朝体「花胡蝶」にしっかりと調和した和字書体が出来上がったのではないかと思っております。
posted by 今田欣一 at 14:36| 活字書体打ち明け話・3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月22日

[余聞1]思い出のヘルベチカ

私が初めて取り組んだ欧字書体は「ヘルベチカ」でした。当時、私は入社2年目、23歳でした。同年代のHさん、Oさんとでチームを組みました。3人とも名字に「田」がついていたので上司からは「3田トリオ」と言われていました。このチームで、「ヘルベチカ」に続いて「オプチマ」「ユニバース」の制作を担当しました。
もう半世紀近く前のことですし、社員としての仕事ですので、手元に何の資料もありません。現在のところ唯一の手がかりが『「ヘルベチカ」の本』(大谷秀映著、エムディエヌコーポレーション、2005年)にあります。

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巻頭ビジュアルには文字盤の写真も掲載されています。

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注目したのは、活字の清刷り(p.35)です。ハース社からこのような清刷りが送られてきたなあと懐かしく思い出されます。写研の「ヘルベチカ」は、活字清刷りを80mmタイプサイズに拡大して修整することによって制作されました。

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写研の欧字書体は、手動写真植字機文字盤のために設計されています。それ以外で使うには不完全な状態です。残念ながら、生き延びることはできないでしょう。せいぜい現在わずかに稼働している手動写真植字機で印字するぐらいしかないと思います。
posted by 今田欣一 at 17:42| 活字書体打ち明け話・1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月16日

[余聞2]主たる仕事は、本蘭と紅蘭にあり。

ある人が、あるデザイン誌に、次のように書いています。
「写研時代の今田の書体には創作性が強く感じられたが、今田の書体制作にはいつごろからか大きな変化があったようだ。それに関してはなにも説明していない」(要約)

一方で、別の人も、同じような見方をしています。
「写研時代はおもしろい書体を作る人だと思っていたのに、モノマネみたいな書体を作るようになった。落ちぶれたものだな」

評価が逆なのが面白いですが、どちらも写研時代をタイプフェイス・コンテスト入賞の書体だけで捉えているようです。外から見ると、それしか見えないわけで、こういう見方をされるのは仕方のないことです。何らかの説明はしていると思いますが、忘れているか、聞かなかったことにしているかでしょう。
私は、誰かの影響で考え方を変えたということはありません。あえて言えば、前々から多様な書体に取り組んでいたということです。タイプフェイス・コンテストは個人の立場で、実験的なことをしようと思って応募していました。それも一面ではあるのですが、もちろん主軸は、社員として取り組んだ仕事なのです。

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その代表的な仕事が、本蘭ゴシック・ファミリー/本蘭アンチック・ファミリー、紅蘭宋朝/紅蘭楷書ファミリーです。残念なことに、本蘭ゴシック・ファミリーは種を蒔いただけで、私の力不足と、大きな力の前に、育成、収穫まで立ち会うことができませんでした。本蘭アンチック・ファミリーと紅蘭宋朝は育つことなく消えてしまいました。
無念な気持ちが強いからこそ、記憶をたぐっているところです。
posted by 今田欣一 at 17:47| 活字書体打ち明け話・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする