2020年10月20日

「はつひやまと」「わかばやまと」「みのりやまと」

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はつひやまとM

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わかばやまとM

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みのりやまとM

フォントワークス・インターナショナルのコンサルタントの方が、東池袋の事務所に訪れてくれたのは1997年だったと思う。当時はフォントワークス・インターナショナルで企画・制作し、フォントワークスジャパン(現在のフォントワークス株式会社)で販売するということだった。
完成している書体があれば、「フォントワークス」からリリースしないかということだった。その頃、「FONTWORKS CLASSIC」というカテゴリーの「マティス」や「ロダン」といった書体と組み合わせて使用する「FONTWORKS KANA」というカテゴリーが設定されており、佐藤豊氏が「えれがんと」「ハッピー」「墨東」などの書体をリリースされていた。和字書体なら提供することは可能ではないかと思った。
思いついたのが、1991年に『いろいろいろは』という冊子のために試作していた和字書体である。ひらがな48字を重複することなく全部つかいながら全文がひとつの文脈になっている「いろは歌」だが、近藤春男さんは、その別バージョンを数多く作られている。これを私は「いろいろいろは」と呼んで、それを新しい和字書体を作って冊子にまとめたのだった。
その書体は、『人と筆跡−明治・大正・昭和−』(サントリー美術館、1987年)の図版などを参考にして制作したもので、このオリジナル・バージョンは、のちに「ほしくずやコレクション」で「たうち」、「さなえ」、「いなほ」として販売している。
これをベースにして、「マティス」に合わせてリデザインしたのが「はつひやまと」「わかばやまと」「みのりやまと」である。そのために字面を大きくし、ファミリー(M、DB、B、EB)を制作した。とくに「「マティスEB」ともなると極太になるので、書写を生かしたオリジナル・バージョンとは全く異なるイメージの書体になった。3書体ともにEBのほうが広く使用されているようである。
制作が終わり、1999年8月にフォントワークス・インターナショナルとライセンス契約を取り交わした。2001年2月にフォントワークスジャパンに引き継がれたのち、2003年10月にライセンス契約を合意解除し、フォントワークスジャパンに著作財産権を譲渡した。
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2020年10月19日

[追想3]「鶴舞(つるまい)」

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「イマリス」につづくカジュアル見出し書体としてプレゼンしていたのが「鶴舞」である。その資料が残っていた。

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2000年に発売した拙著『タイプフェイスデザイン漫遊』にも、「欣喜江戸文字」(仮称)として「欣喜図案文字」「欣喜現代文字」とともに所載していた。

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残念なことに、2000年ごろのフォントベンダーでは開発費用を出して新しい書体を発注できる状況ではなくなっていた。「鶴舞」も不採用になってしまった。未制作だが、記録としてここに残しておく。

「欣喜明朝」(白澤明朝に継承)、「欣喜ゴシック」(白澤呉竹に継承)、「欣喜アンチック」(白澤安竹に継承)および「欣喜ラウンドゴシック」(SDロンドに継承)をフォントベンダー各社にプレゼンしていたがいずれも不調に終わった。さらには「欣喜楷書」(いぬまる吉備楷書に継承)、「欣喜隷書」(さるまる吉備隷書に継承)、「欣喜行書」(きじまる吉備行書に継承)も採用されることはなかった。
こうして自主販売への道をさぐることになった。
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2020年10月18日

「ぽっくる」

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「ぽっくる」は、リョービイマジクス株式会社と契約したうえで、1999年3月に制作を開始した(現在は株式会社モリサワに譲渡されている)。こういったカジュアルな見出し書体の制作は、フォントベンダーの要望に沿ったものだ。

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プレゼンした書体の多くは本文用書体だったが、フォントベンダーからは「見出し用の独創的な書体」でしか採用できないということであった。本文用の書体は「すでに販売されているものと競合する」、「このような書体は社内で制作する」とのことだった。
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2020年10月17日

「イマリス」

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会社設立の少し前のことである。デジタルパブリッシング・ジャーナリストの柴田忠男さんから取材の申し込みがあった。
そのときの記事が『日経デザイン』(1997年1月号)の「デジタルフォント開発の現場から」である。株式会社タイプバンク(現在は株式会社モリサワに吸収合併)、有限会社字游工房などとならんで、私(会社設立準備中だったので個人名になっている)も取り上げていただいたのだ。
ここに提案しているオリジナルタイプフェースは、人間味を大切にしているという。デジタルの時代でも、文字は人間の手が生み出すものだと考えているそうだ。フォントベンダーに気に入ってもらえれば、独占的使用許諾の契約を結び、開発費用を出してもらうわけである。幸い一部の書体のフォント化が実現しそうである。

ここに書かれている「一部の書体のフォント化」とあるのは、カジュアルなイメージの「イマリス」という書体のことだ。制作中の段階であったが、『日本タイポグラフィ年鑑1997』(日本タイポグラフィ協会編、グラフィック社、1997年)にも掲載された。
「イマリス」は、1997年から1998年にかけて株式会社ニィス(現在はエヌアイシィ株式会社=長竹産業グループ)の依頼で制作した書体である。もう20年前のことになる。
当時、株式会社ニィスでは「ニィス・カラーフォント『彩色主義』」という企画をすすめていた。カラーフォントの具体的な仕様については承知していないが、「イマリス」はその企画による依頼だった。
古い写真や資料を整理していたところ、その時にいただいたサンプルCDと、「イマリス」のプレゼン用の見本が出てきた。そのころはカラープリンターを所有していなかったので、Tooに持ち込んで出力してもらった。
株式会社ニィスの指定で、EPSデータに書き出したものを納品し、月ごとに制作した字数に応じて制作費が支払われた。1998年11月の制作終了時になって、やっと制作契約書を取り交わした。しかしながら、20年が経過した今もリリースされたという話はないので、幻の書体となったようである。そして20年の販売契約期間も終わっている。
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2020年10月16日

「きじまる吉備行書W3」

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佐藤豊氏の連載エッセイ「書体ウォッチャー」(2001/09/11)では、つぎのように続けている。
三部作の最後は「欣喜行書」らしい。私と同じように、彼もひとりで書体デザインをしているので、制作はそう簡単には進まないと思うが、三つの書体が完成したときには、何十年ものあいだ馬鹿のひとつ憶えのように明朝体に固執してきた書籍本文業界に、なんらかの刺激を与えるはず……と期待している。

行書もまたフェルトペンで書いたものから、漢字1,000字余だけの「欣喜行書・試用版」を制作し、無料頒布した。2001年のことである。
孔版の書体には行書体は存在しなかった。ヤスリの溝による制約があり、運筆に抑揚がつけられない孔版では、行書体を書くことはむずかしいのだろう。ただし欧字書体のスクリプトの見本が載っていたので、行書体もできないことはないと思った。もっぱら『書道教範』のペン字による行書体をお手本にして、「欣喜歩」に変更している。
さらに『中国硬筆書法字典』(司惠国・王玉孝主編、世界図書出版公司、2003年)には硬筆の隷書がみられたので、これを参考にして全面的に修整した。
行書体もまた原点に立ち返って「欣喜行書・試用版」から見直し、「きじまる吉備行書W3」として継続している。

posted by 今田欣一 at 08:52| 活字書体の履歴書・第3章(1994–2003) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする