2013年07月24日

[東池袋KIDS]プレリュード:東池袋に繰り出そう

 1997年2月24日、ぼくは「有限会社今田欣一デザイン室(Kinichi Imada Design Studio Inc. 略称KIDS)を設立した。場所は東京都豊島区東池袋のマンションの9階の一室である。1997年4月1日が実質的なスタートとなった。

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●当時の事務所の様子

 ベランダからは、近くに雑司が谷霊園の緑、遠くには新宿の高層ビル群が臨めた。地下鉄有楽町線の「東池袋駅」と都電荒川線の「東池袋4丁目駅」から歩いて2、3分のところであった。

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●ベランダから見た風景

 それからの4年間、デジタル・タイプの原字制作を中心に、池袋コミュニティカレッジでの講座、オンデマンド出版など、東池袋を舞台に展開していった。個人的には、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と日本タイポグラフィ協会(JTA)の会員にもなった(現在は退会している)。いろいろな人との出会いがあった。順調な滑り出しだった。

 東池袋時代に制作した書体は「イマリス」と「ぽっくる」である。「イマリス」(imagineとAliceの合成か)は株式会社ニィス(エヌアイシィ株式会社に統合)の依頼により、「ぽっくる」(「ぽっちゃり」と「くるり」の合成か)は、リョービイマジクス株式会社(株式会社タイプバンクに委譲)の依頼により制作した。フォントワークス・インターナショナル(フォントワークス株式会社に委譲)では、最終的に総合書体の採用はなかった(和字書体として「はつひやまと」「わかばやまと」「みのりやまと」を制作)。

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●「ぽっくる」の使用例
「こねこねこね」(早瀬亮著、二見書房、2013年)

 書体制作以外にも、池袋コミュニティカレッジでの講座、オンデマンド出版という挑戦を試みたが、いずれもうまくいかなかった。力不足ということにつきる。
 事務所を開設した直後に、西武百貨店の池袋コミュニティカレッジから「講座をやらないか」という話をいただき、1997年4月から書体制作の講座を開講した。その後、受講者が少なくて途切れたりしながらもほそぼそと継続した。結局、講座を継続できる人数に達しなくなったことから、2009年に講座を閉じた。
 事務所設立と同時にウェブサイトを立ち上げた。そのとき書いていたエッセイを、株式会社ブッキングの協力でオンデマンド出版したのが『タイプフェイス・デザイン事始』(2000年6月1日発行)である。つづいてメールマガジン『週刊Rejoice!』でのエッセイをまとめた『タイプフェイス・デザイン漫遊』(2000年9月1日発行)、さらに株式会社コムクエストの依頼で執筆した『タイプフェイス・デザイン探訪』(2000年12月1日発行)も、それぞれオンデマンド出版した。残念ながらほとんど売れないまま現在では絶版状態である。

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●池袋コミュニティカレッジでの発表展示会(2007年)

 東池袋の事務所に4年間いた。ちょうど20世紀のおわりの4年間である。この4年間の直接的な成果は「イマリス」と「ぽっくる」の制作しかない。池袋コミュニティカレッジでの講座、オンデマンド出版は、結果的に失敗に終わっている。
 しかしながら、この時期に受けた外部からの刺激によって、その後の書体制作の方向のきっかけとなった重要な4年間なのである。
posted by 今田欣一 at 08:43| 漫遊◇東池袋のころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月27日

[東池袋KIDS]1997年:星屑のステージ

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●『日経デザイン』(1997年1月号)

 事務所開設の少し前のことである。デジタルパブリッシング・ジャーナリストの柴田忠男さんから取材の申し込みがあった。柴田さんとは、杏橋達磨さん主宰の勉強会で挨拶しただけだったので驚いた。

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●「デジタルフォント開発の現場から」冒頭のページ

 そのときの記事が『日経デザイン』(1997年1月号)の「デジタルフォント開発の現場から」である。株式会社タイプバンク、有限会社字游工房などとならんで、私(会社設立準備中だったので個人名になっている)も取り上げていただいたのだ。

 ここに提案しているオリジナルタイプフェースは、人間味を大切にしているという。デジタルの時代でも、文字は人間の手が生み出すものだと考えているそうだ。フォントベンダーに気に入ってもらえれば、独占的使用許諾の契約を結び、開発費用を出してもらうわけである。幸い一部の書体のフォント化が実現しそうである。


 現実的に商品化されたのは「イマリス」と「ぽっくる」にとどまった。これらはフォントベンダーの要望に沿ったものだ。私が本当に制作したかったものは、「すでに販売されているものと競合する」、「このような書体は社内で制作する」ということで不採用だった。
 フォントベンダーとは「見出し用の派手な書体」でしか契約できないとわかったとき、自主販売への道をさぐることになった。同じような考えをもった人に出会うことができ、まず株式会社ベクターの「プロレジ」というシステムを利用することにした。のちに、「ほしくずや」として他のダウンロード・サイトへ展開していくことになる。
 また、硬筆書体として試作した「欣喜楷書」、「欣喜行書」、「欣喜隷書」は、とりあえず漢字1006字だけの試用版として、無料頒布しようと考えていた。
2014年7月24日改訂

posted by 今田欣一 at 09:04| 漫遊◇東池袋のころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月30日

[東池袋KIDS]1998年:和字書体のメヌエット

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●「日本語組版の歴史」資料図録

 1998年6月7日、中央大学駿河台記念館において「日本語の文字と組版を考える会」の第9回公開セミナーが開催された。200人を超える参加者だったという。テーマのひとつが、府川充男氏による「日本語組版の歴史」であった。そのときに配布されたのが、80ページにおよぶ資料図録であった。
 「日本語組版の歴史」というタイトルではあったが、見方を少し変えれば「活字書体の歴史」でもあった。そのなかで私の記憶に残ったのが、大鳥圭介の作った活字で組まれた『歩兵制律』であった。大鳥圭介は、私の出身高校の遠い先輩にあたる人なので、親近感をおぼえた。

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●「近代活版史夜話−−大鳥活字再校」

 大鳥圭介の活字および印刷物については、日本タイポグラフィ協会『タイポグラフィックス・ティ』145号(1992年)と、147、148号(同、1993年)に連載された、府川氏による「近代活版史夜話−−大鳥活字再校」に詳しく書かれていたことを思いだした。


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●3回連続セミナー資料

 「日本語組版の歴史」に引き続き、府川氏による3回連続セミナーが開催され、私はそのすべての回に参加することができた。そのときに配布された資料もたいへん充実したものだった。このセミナーは、おそらく『聚珍録』(府川充男著、三省堂、2005年)への前振りだったのだろう。
 講演の内容は年代別に整理されたものではなかったが、大雑把に言えば、第1回セミナーでは平野活版など明治初期の活字書体が、第2回セミナーでは築地活版、秀英舎を中心とした明治時代の活字書体が、そして第3回セミナーでは、森川龍文堂、岩田母型、モトヤなどの昭和時代の活字書体が取り上げられていた。


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●『スフィンクス#04』(麻布書館、1986年)より

 1998年から遡ること12年前。『スフィンクス#04』(麻布書館、1986年)で、府川氏は、「和文組版雑纂 字体と書体」という文章を書いている。そのなかで私は、府川氏自作の簡易文字盤「粘葉本和漢朗詠集モドキ一〇一」などの組み見本に目を奪われた。このとき、写本の書体にも強い興味をひかれたのであった。

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●字游工房制作の和字書体

1995年に現ダイナコムウエア株式会社から発売されたDFP 隷書体、1996年に発売されたDFP 魏碑体、1997年に発売されたDFP 新宋体などの和字書体の設計を担当したのが字游工房である。これらにも刺激を受けた。
2014年7月24日改訂

posted by 今田欣一 at 08:01| 漫遊◇東池袋のころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月01日

[東池袋KIDS]1999年:欧字書体のセレナーデ

 1999年6月26日、株式会社朗文堂主催の「夢街道 イタリアのタイポグラフィをめぐって」というスライド映写会が開催された。180人以上の参加者だったというから、大盛況といえるだろう。そのなかに私はいなかった。白井敬尚氏の「イタリック体」、片塩二朗氏の「ボドニ」、木村雅彦氏の「スビアコの修道院とトラヤヌス帝の碑文」が話されたと聞く。このスライド映写会の評判を聞き、参加すべきだったなと思った。

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 白井氏のレポートからは、河野三男氏と山本太郎氏の論争へと発展し、のちに『デザイン対話|再現か 表現か』(河野三男・山本太郎共著、朗文堂、2000年)としてまとめられている。
 木村氏のレポートについては、翌年1月の「リョービ新春ショー」で開催されたミニ・セミナーで見ることができた。「トラヤヌス帝の碑文」の拓本は圧巻であった。のちに、『Vignette01 トラヤヌス帝の碑文がかたる』(木村雅彦著、朗文堂、2002年)としてまとめられ、その全貌をみることができるようになった。

 その1年前のこと。1998年6月21日の消印があるDMが届いた。小林章氏からである。ニューヨークのInternational Typeface Corporation (ITC) 社の主催による第1回 U&lc Type Design Competition に応募した「Clifford(クリフォード)」という書体が本文書体部門で1席に選ばれ、応募全書体の中で最優秀賞を受賞したということであった。

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●小林章氏からのDM

 米国の企業のコンペで、欧字を母国語とする海外のデザイナーをさしおいての最高賞だ。これは快挙だと思った。しかも見出し用ではなく本文用である。本文用だと、組まれた時の読みやすさなどが要求されるので、なにより欧字に慣れ親しんでいないと難しいと思えるからだ。このような書体を最高賞に選んだ審査員もまた讚えられる。熟練された腕と、本物を追い続ける探求心が評価されるのは嬉しい。
 それにしても『日経デザイン』1998年8月号のトピックス欄に掲載された記事はあまりにも小さかった。どのような書体かも、小さい図版では読み取れないほどであった。当時はそれほど注目されてはいなかったのだが、日本人がデザインした欧文書体を世界の人々が使う日が近づいてきたという実感があった。


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●HONCOレアブックス『ローマ字印刷研究』

 2000年2月のこと。HONCOレアブックス『ローマ字印刷研究』(井上嘉瑞・志茂太郎共著、大日本印刷株式会社ICC事業部、2000年)が発行された。もともとは『書窓62』(アオイ書房、1941年)および『書窓70』(アオイ書房、1941年)を原本として復刻したものである。

 1999年のスライド映写会「夢街道 イタリアのタイポグラフィをめぐって」を中心に、1998年の小林章氏からのDM、2000年発行の『ローマ字印刷研究』からの刺激を受けて、私にとって、欧字書体への興味も深まってきた時期であった。
2014年7月24日改訂

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2013年08月03日

[東池袋KIDS]2000年:漢字書体のファンタジー

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●『中国の書物と印刷』

 2000年のある日のこと、池袋の大型書店で、私は一冊の書物に出会った。中国文化史ライブラリー『中国の書物と印刷』(張紹著、高津孝訳、日本エディタースクール出版部 1999年12月)である。1991年に中国で出版された『中国印刷史話』の翻訳だそうだ。訳者あとがきによれば、『中国印刷史』(張秀民著、上海人民出版社、1989年)などを参考にして、簡潔にまとめたものだという。
 『中国の書物と印刷』には図版があまりなかった。そこで、『図解和漢印刷史』(長沢規矩也著 、汲古書院、1976年)を買い求めて、あわせてその字様を観察しはじめたのである。

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●『印刷史研究』第8号

 『印刷史研究』第8号(印刷史研究会、2000年7月)には、小宮山博史氏による「美華書館とその書体」が掲載されていた。美華書館という名前は知っていたがあまり詳しく知らなかった。とくに美華書館活字見本には目を奪われた。近代活字においても、中国に目を向けなければと思った。

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●『西安碑林全集』

 私が西安碑林博物館を訪れたのは1992年のことだった。その後、『西安碑林書道芸術』(陜西省博物館他編著、 陜西人民美術出版社、 1989年)を入手し、それをひたすら眺めていた。
 最近になって、『西安碑林全集』(高峽主編、廣東經濟出版社、1999年12月)の一部を見ることができた。公開展示されていない碑石も含めて、開成石経を中心としたすべての蔵石の拓本の影印が収録されているという。電子複写が認められなかったのは残念なことだった(写真撮影は許された)。

 このとき、漢代・唐代の碑刻、近代活字書体に、『中国の書物と印刷』による中国の整版印刷術と活字印刷術を加えて、漢字書体の歴史がつながったのである。
2014年7月24日改訂

posted by 今田欣一 at 09:48| 漫遊◇東池袋のころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする