2019年06月01日

[札幌の虹]札幌2019 庭園

2019年5月30日、札幌・百合が原公園を訪れた。
札幌で百合が原公園を思い浮かべる人は多くないと思う。旅行ガイドにも大きく取り上げられてはいない。今から30年以上前の1986年に開催された「さっぽろ花と緑の博覧会」の会場になったところなのである。

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その時に作られたのが「世界の庭園」エリアである。札幌市の日本庭園と、札幌市の姉妹都市、中国・瀋陽市、ドイツ・ミュンヘン市、アメリカ・ポートランド市の庭園を巡る構成になっている。

日本庭園(日本・札幌市)
池泉回遊式の庭園である。池にはり出した平安風の水舞台を中心に、城壁風石垣と、竹垣、鹿威し、蹲など日本庭園の技がコンパクトに盛り込まれている。北方系樹種が多く植栽されているのが特徴である。1983年の国際庭園博覧会で、ドイツ造園連盟大金賞を受賞したものと同じ設計である。

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中国庭園(中国・瀋陽市)
「瀋芳園」は、中国の伝統的な自然山水の庭園である。庭園内の建造物は、明・清代の建築様式。木組と屋根の瑠璃瓦は中国で製作され、特に瑠璃瓦は王宮の建物以外には使うことのできない貴重なものだ。瀋陽市公園管理処の指導により施工された。「瀋芳園」の名には、「万古流芳(永遠に名を残す)」の意が込められている。

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西洋庭園(ドイツ・ミュンヘン市)
「ムンヒェナーガルテン」はバイエルン地方の伝統的庭園に近代性を組み合わせた沈床式庭園(サンクンガーデン)である。全体的にはシンメトリーで幾何的な庭園で、樹木に囲まれた中に小川の流れるメドウガーデンがある。ミュンヘンの造園家、ゲアハルト・トイチェ氏とザンボ・ヴィットマン氏によって設計された。

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他に、ポートランド市の一般的な家庭の庭を再現したという「ポートランドガーデン(アメリカ)」がある。ポートランドの造園家、バーバラ・フェリー氏によって設計されたものだ。

思ったよりこぢんまりとしていたが、日本・中国・西洋の庭園をひとつのエリアに集め、それぞれが特徴を出しながら一体となっている。30年以上に渡り、維持し、公開され続けているのは素晴らしいことだ。

西洋、中国、そして日本の歴史は、文字によって記されてきた。西洋、中国、日本のそれぞれに書物の歴史、出版と印刷の歴史があり、印刷書体の源泉は書物の歴史にある。

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『入門講話日本出版文化史』(川瀬一馬著、日本エディタースクール出版部、1983年)
『中国の書物と印刷』(張紹著、高津孝訳、日本エディタースクール出版部、1999年)
『書物の本 西洋の書物と文化の歴史/書物の美学』(ヘルムート・プレッサー著、轡田収訳、法政大学出版局、1973年)


日本にも、中国にも、西洋に負けないぐらいの印刷書体(活字書体だけでなく木版印刷の字様も含めて)が残されている。欣喜堂では、それらをあたらしい時代の息吹によってよみがえらせ、実際に使用できるようにしている。
『欣喜堂 活字入門帖』は、『欣喜堂 書体見本帖』と『欣喜堂 組み見本帖』とともに、欣喜堂で制作した和字書体・漢字書体・欧字書体の制作意図を説明したものであり、研究書ではないが、日本、中国、西洋の印刷書体の歴史をまとめようという意識で取り組んでいる。
日本語では、和字書体、漢字書体、欧字書体を組み合わせることによって成り立っている。和字書体、漢字書体、欧字書体それぞれの造形、イメージ両面での分析とともに、その関係についても考えていきたい。


百合が原公園全体は広大である。園内を周回するリリートレインが、1時間に2、3本の間隔で運行されているぐらいだ。この公園のシンボルであるユリを始め、ライラックやチューリップなど多くの植物が、それぞれの花壇に植栽されており、1年中、花に囲まれる公園である。

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夕刻、イメージナビ株式会社を再訪。会食。


『レタリング 上手な字を書く最短コース』では、漢字書体「日活明朝体」を50ページ以上にわたって詳細に分析している。著者の谷欣伍氏が愛好していたという書体で、「角ばった、フトコロの広い、なんともひょうきんなこの書体−字並びがキレイだから組み上がりが線になるし、ユニークな感じがあって、結果は上乗であった」と書いてあるぐらいだ。

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和字書体は「LETT」という書体を田村秀郎、小芦重幸両氏の協力を得て制作し、本文にも使用している。「新しいボディタイプが生まれ、将来長く使用されるかは、人間の共有財産としての価値があるかどうかにかかっています」と書いている。書体名は「レト」と読むのだろうか。当時、同様な取り組みを多くの人が試みているが、本文で使ったのを見るのは初めてだったので、新鮮な印象を受けたことを覚えている。

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この本では欧字書体についての記述はないが、もし取り上げられたとすれば、著者の好みから類推すると、モダン・ローマン系の「スコッチ・ローマン(Scotch Roman)」だったのではないかと勝手に想像している。イギリスのリチャード・オースティン(?–1830)が、1809年から1812年ごろにかけて制作し、1909年にイギリスのモノタイプ社で再刻された書体である。

翌5月31日、25年ぶりに中島公園を訪れた。

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まずは日本庭園を散策してから「豊平館」へ。「豊平館」は1880年(明治13年)に開拓使が迎賓館、ホテルとして建てた歴史的建築物である。

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「北海道立文学館」では、特別展「よみがえれ!とこしえの加清純子−『阿寒に果つ』ヒロインの未完の青春−」が開催されていた。

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北海道大学植物園にも立ち寄った。リーフレットは日本語版、英語版、中国語版(簡体字)、他に韓国語版が用意されていた。

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モデルコース(45分)の内回りルートに従い、北方民族資料館、博物館・重要文化財群を中心に急ぎ足で巡った。

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posted by 今田欣一 at 14:27| 札幌の虹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月05日

[札幌の虹]札幌2018 開拓

札幌駅のすぐ近くにあるイメージナビ株式会社を訪ねた。

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イメージナビ株式会社は、デジタル素材総合販売サイトdesignpocketを運営しており、欣喜堂書体のダウンロード販売を委託して、今年で10年目になる。日頃はメールでやり取りをしていて、それで特に問題はないが、実際に担当している方に直接面談することも必要なことだ。

近代の書体について、欣喜堂ではつぎの三系列で試作している。
【第一系列】「日本語書体三傑」に含まれる。国名の漢字表記を書体名にしている。
美華(近代明朝体)/伯林(呉竹体)/倫敦(安竹体)
【第二系列】「日本語書体十二撰」に含まれる。五節句を書体名にしている。
上巳(近代明朝体)/端午(呉竹体)
【第三系列】「ほしくずやコレクション」
白澤明朝体/白澤呉竹体/白澤安竹体

第一系列、第二系列に対して第三系列をどう位置付けするかを考えた時、白澤明朝体は、当初参考にしていた東京築地活版製造所の五号明朝活字ではなく、例えば日活明朝体のような現代的な造形のほうが差別化できていいのではないかと思うようになってきた。

大通公園を抜けて札幌市役所へ向かう。札幌市役所には札幌の礎を築いた開拓判官、島義勇(しまよしたけ)の銅像があるという。受付でどこにあるか尋ねる。「それでしたら、こちらにあります」と教えてくれた。なんと玄関フロアのすぐ右手にあった。聞くまでもなかったのだ。

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河 水 遠 流 山 峙 隅   河水遠くに流れて山隅にそばだつ
平 原 千 里 地 膏 腴   平原千里地は膏腴(こうゆ)
四 通 八 達 宜 開 府   四通八達宜しく府を開くべし
他 日 五 州 第 一 都   他日五州第一の都

銅像の下のプレートにはこのような漢詩が記されている。札幌に入った島義勇が札幌・円山のコタンベツの丘に登り、この地に本府を造ろうと決意した時に詠んだ詩である。情熱を持って実行に着手しようとする熱意が伝わってくるようである。

再び市街に出る。5月というのにすごく寒い。札幌観光の定番中の定番、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)へ。

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赤レンガ庁舎(北海道庁旧本庁舎)を見学。多くの見学者が訪れていた。

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最後に、北海道大学総合博物館を見学する。

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20代の頃に購入して以来、30年以上経っても時折ひっぱりだしては眺めている1冊の書物があった。『レタリング 上手な字を書く最短コース』(谷欣伍著、アトリエ出版社、1982年)である。

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鈴木勉さんのチームで読書会をしていた。読書会といっても、メンバーそれぞれが推薦した本を買って読んでみるというものだけだったが、鈴木さんが薦めてくれたのがこの本だったのである。
著者は、株式会社工画堂スタジオ社長で、東京学芸大学グラフィックデザイン室で教鞭をとられていた谷欣伍氏。『別冊アトリエNo.120』(1975秋号)の特集を保存版として出版したものである。
タイトルは「レタリング」となっているが、理論的に活字書体を分析されているので、活字書体設計としてもたいへん役に立つ書物である。

翌日は、北海道開拓の村へ行く。

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明治初期から昭和初期までの北海道各地の歴史的建造物を移築復元し再現した野外博物館である。

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文化の流れを示す建造物を保存し後世に永く伝えることを目的に1983年に開村された。




posted by 今田欣一 at 20:27| 札幌の虹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

[札幌の虹]プロローグ:「はやぶさ11号」に乗って

2018年5月9日、64回目の誕生日。朝から本降りの雨。季節が逆戻りしたような寒さ。加えて、川越線が10分ほど遅延。小さなトラブルを乗り越えて、10時ちょうど。大宮駅から「はやぶさ11号」に乗車。北海道に向かう。新青森まで東北新幹線、新青森から新函館北斗までが北海道新幹線だ。2016年3月に開業している。北海道新幹線には初めて乗ることになる。
乗車してすぐに雨はあがっていた。ずっと車窓の景色を見て過ごす。鉄道旅の楽しみだ。11時7分、仙台に到着。

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1998年ごろフォントワークスのウェブサイトに掲載していた「タイプフェイスデザイン探訪」という記事の第1回をまとめた小冊子(株式会社コムクエスト発行)がある。この小冊子のタイトルは当時試作していた「欣喜明朝W3」という書体を使っている。
『タイプフェイスデザイン 漫遊』(今田欣一、2000年)には、「欣喜明朝W3」とともに「欣喜ゴシックW3」「欣喜アンチックW3」の組み見本を掲載している。しかしながら「欣喜明朝」はデザインとしての完成度がイマイチだったので日の目を見ることはなかった。

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盛岡には11時47分に到着。盛岡駅を通過した後、車内販売で買った駅弁を食べる。これも鉄道旅である。

私が新入社員として、株式会社写研に就職したのは今から40年ほど前の1977年4月1日のことだった。一週間の新入社員教育期間(会社概要とか就業規則とか)を終えてから原字制作の職場に配属された。すぐに仕事につくのではなく、約3ヶ月間にわたって研修をうけることになった。
その研修で、最初に実習したのは石井細明朝体である。石井細明朝体の書体見本が配られた。この書体見本は仮想ボディ48mmサイズで、基準となる12文字が並べられている。部首、画数などの参考となる代表的な字種である。これを観察して、課題の字種を描いていくのである。
もうひとつ実習したのは石井太ゴシック体である。書体見本12字に合わせて、まず8字を練習した。この8字はすでにあるのだが、もちろんそれを見ることはできない。同じ書体を、同じ書体見本に合わせて、新入社員3名が同じ文字を描く。最初は石井太ゴシック体とは違うものになってしまうが、いろいろ指導をうけていくうちに、石井太ゴシック体となっていくのである。

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今このときに制作した原字(写真)をみると、まだまだだったと思うが、当時としては精一杯やった結果である。この新人研修のカリキュラムが、私にとっての書体制作の原点となっている。私だけではなく、写研の原字制作部門に配属されたすべての社員が経験しているので、同じような原字を保存しているはずである。そして、これらの原字からテスト文字盤を製作、テスト印字まで行われた(残念ながら、これらは持ち帰ることは認められなかった)。この新人研修のカリキュラムが、原字制作の初心者にとって、今でも有効な方法だと私は思っている。
石井茂吉(1887−1963)は、写真植字機を普及させるために必要な書体として、1930年から1935年までに、本文用の明朝体(のちの石井中明朝体+オールドスタイル小がな)、太ゴシック体(のちの石井太ゴシック体+小がな)、それにアンチック体(和字書体のみ)を制作している。このうち「アンチック体」には漢字書体はない。石井横太明朝体がこれに近いのではないだろうか。

新青森には12時35分に到着。どんよりしていた空もすっかり明るくなっていた。30年振りに青函トンネルを通過。青函トンネルができた年以来だが、今回は新幹線で超えた。

「欣喜明朝W3」は、typeKIDSの写植文字盤プロジェクトで蘇った。漢字書体「白澤中明朝体」である。このプロジェクトは簡易文字盤・四葉を製作し、テスト印字物までつくった。
「typeKIDS」は活字と書物にまつわる小さな勉強会である。1年半にわたって取り組んできた3Dプリンター活字「貘1973−B」、電子書籍を組むための「いぬまる吉備楷書W3」などに続いて、2年にわたって取り組んできたのが「白澤中明朝体」「白澤太ゴシック体」「白澤太アンチック体」の写植文字盤化プロジェクトであった。
写研の新人研修のカリキュラムが原字制作の初心者にとって、今でも有効な方法だと私は思っている。TypeKIDSに学生が参加することになって、写真植字用の文字盤をつくるというプロジェクトということで、この新入社員教育のカリキュラムを実践してみることにした。
書体設計の学習用プログラムとして、オリジナルの書体として試作してみることにした。その新しい漢字書体を「白澤」と名付けた。白澤中明朝体、白澤太ゴシック体、そして白澤太アンチック体である。

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白澤中明朝体は、『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)所収の五号明朝活字見本を結法の参考にすることにした。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し、これを見ながら下書きしている。白澤太ゴシック体も白澤中明朝体と同じく、『活字と機械』所収の五号ゴチック活字見本を結法の参考にすることにした。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し下書きしていった。白澤太アンチック体は金属活字としては『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)所収のアンチック形活字が近いが、これには依らず欧字書体のスラブ・セリフ体にあわせてより現代的に解釈することにし、『活字と機械』所収の五号明朝活字見本および五号ゴチック活字見本を参考にして書体見本12字を制作した。
「白澤太ゴシック体」と組み合わせる和字書体は「きたりすゴシックW6」、欧字書体は「Vrijheid sans」である「白澤太アンチック体」と組み合わせる和字書体は「きたりすアンチックW6」、欧字書体は「Vrijheid slab」を考えている。白澤中明朝体」と組み合わせる和字書体は、「きたりすロマンチック」を想定している。欧字書体は『TRAKTAAT』(邦題=和蘭条約書、1858年)を原資料とした欧字書体「Vrijheid serif」を試作している。

13時38分、新函館北斗着。ここで途中下車して、五稜郭公園の箱館奉行所に向かう。30年前に訪れた時には影も形もなかったが、2010年に、日本伝統建築の匠の技により140年の時を超えて復元されたのだ。

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感動的なものだったので、思わずDVDを購入した。

物語はまだまだ終わらない。漢字書体「白澤中明朝体」は、欧字書体「Vrijheid」とともに、和字書体「きたりすロマンチック」にあわせてデジタルタイプとして試作することにしている。

2018年5月10日、「スーパー北斗5号」で札幌駅へ。
posted by 今田欣一 at 10:21| 札幌の虹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする