2016年08月01日

オックスフォードの思い出3 デジタルタイプとの出会い

(この記事は1990年に書いたものを掲載しています。英語がさっぱりわからないので、以下の記述には間違いがあるかもしれません。悪しからず)

クライスト・チャーチ(Christ Church)
ぼくたちが宿泊したクライスト・チャーチ(Christ Church)では、デジタルタイプに関するワークショップが開催されていた。それまでは筆と墨で書体設計を行っていた。コンピューターとは無縁だったので、とても新鮮に感じられた。


書体設計(Type design on the Macintosh)
1990年9月2日 13:30-15:00

(スケジュール表にチェックしていたのだが、その講義内容については残念ながら記憶していない。ビデオにも写っていないし、写真も撮っていない)

講師はロバート・スリムバック氏である。スリムバック氏はアドビ・システムズのタイプ・デザイナーだった。ITCおよびアドビのオリジナルとしての活字書体を設計している。彼の設計した書体には、ITC スリムバック、ITC ジョバンニ、ユートピア、アドビ・ギャラモン、ミニオンなどがある。
資料によれば、マッキントッシュでの書体設計を、開発されたミニオン・ファミリーを取り上げて、実際にマッキントッシュでのソフトウェアを操作しながら説明するということになっている。
ぼくが会社でコンピューターを使う機会はなかった。書体設計・制作はアナログでおこない、それをデジタルに変換するという考え方が支配していた。デジタル化のセクションは関係者以外の立ち入りを禁じられていた。

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書体工房(Type studio)
1990年9月2日 15:15-16:15

(こちらはビデオに映像が残っているので、確かに聴いている)

同じ会場でジョナサン・ホーフラー氏のワークショップがあった。ホーフラー氏の宝物は6歳の時に父親の事務所から無意識に奪い取った活字見本帳であるという。そのときから活字への熱狂が始まったそうだ。現在(1990年当時)はニューヨークで、タイポグラフィを専門に扱う小さなデザイン・スタジオを運営しているということだ。
ホーフラー氏は、羽根ペンからパンチ・カッターに至る歴史にたいして、コンピューターによる活字設計を「革命」と位置づけた。ホーフラー氏の講義は「全体論的マッキントッシュ・タイプ・ワークショップ」というテーマが、プロジェクターからうつしだされてはじまった。
フォントグラファーというソフトウェアをもちいて、アウトラインのコントロールやサイドベアアリングの調整がいかに効率よくおこなえるかということを強調した。それは参加者がコンピューターによる電子活字の設計への移行を決意させようとするものであった。
帰国後、ぼくは個人的にイラストレーター(Adobe Illustrator)、フォトショップ(Adobe Photoshop)、ストリームライン(Adobe Streamline)、ページメーカー(Aldus PageMaker)のほかに、書体設計に必要だと思われるソフトウェアとして、フォントグラファー(Altsys Fontographer)を揃えたのだった。


posted by 今田欣一 at 08:03| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

本居宣長記念館「宣長、本を出す」展

2016年2月20日(土曜日)
本居宣長記念館「宣長、本を出す」展
館長による展示説明会 吉田悦之館長

名古屋から快速みえ1号で松阪へ向かいました。

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雨の中を本居宣長記念館へ。1988年 3月に訪れて以来なので、28年ぶりになります。

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「宣長、本を出す」展が開催中でした。11時から12時までの「館長による展示説明会」に合流することができました。

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展示内容
01 本は出版することに意味がある/『源氏物語』紫式部との出会い/契沖との出会い
02 帰郷した宣長は友人から運命の一冊を借りた/本がつなぐ真淵と宣長/松阪にはこんなにすごい本があった
03 世界だって見ることができる
04 二つの箱
05 忙しい寛政年間/宣長の偉業/アルバイトだってしますよ
06 やちまた
07 職人のわざ
08 お墓へのこだわり
09 宣長が詠んだ『古事記』の世界
10 読みたい本は自分で写す
11 はじめての出版
12 思わぬアクシデント/校正だって手を抜かない
13 鈴屋ネットワーク 本をめぐるドラマ
14 本の貸し借りのススメ/帰ってきた『古事記伝』/貸したり借りたり
15 細やかな生活
16 春庭の本


鈴屋(本居宣長旧宅)にも。雨が降っていたので、2階の書斎ははっきり見えなかったけど。

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posted by 今田欣一 at 21:24| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

倉敷市歴史民俗資料館「教科書のうつりかわり」展

2016年8月13日(土曜日)
倉敷市歴史民俗資料館「教科書のうつりかわり」展
(説明していただいた方のお名前を聞きそびれました)

倉敷を訪れたのは久しぶりのことです。美観地区の様子も大きく変わっていました。美観地区の横を通り過ぎ、左手に倉敷市芸文館・大山名人記念館、右手に市立図書館・市立美術館を見ながら、倉敷市役所をめざしました。

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市役所のとなりに、目的の倉敷市歴史民俗資料館がありました。倉敷市歴史民俗資料館となっていますが、国登録有形文化財・旧倉敷幼稚園といったほうがいいのかもしれません。

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最大の特徴は八角形の旧遊戯室です。内部に支柱を使わず広い空間を確保する、この様式をとどめる園舎は現存する唯一のものといわれています。この建物については詳しく説明していただいたのですが、展示内容の説明はありませんでした。

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歴史民俗資料館としては珍しく、幕末以降の教科書が展示されています。

展示内容
1 寺子屋で使用された教本
2 明治初期の尋常小学校で使用された教科書
3 国定教科書 1 期〜5期(明治37年〜昭和20年)
4 戦後の教科書

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手書きの説明板はかなりくたびれていました。35年前の担当者の努力がわかるだけに、置き去りにされているのは残念なことです。

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「展示品は別の施設に移管して、本来の遊戯室として使いたい」
説明してくれた方が話されていました。教科書のコレクションを生かすためにも、そのほうがいいのかなと思いました。
posted by 今田欣一 at 08:49| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月23日

国文学研究資料館「書物で見る日本古典文学史」

2016年9月21日(水曜日)
国文学研究資料館「書物で見る日本古典文学史」
ギャラリートーク 恋田知子助教

上代(奈良時代)から明治時代の初期までの文学を、教科書でなじみの深い作品を中心に、写本の表情や、版本の風合いに触れながら、豊かな日本古典文学史をたどるという企画でした。

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数名の女子大生(たぶん)とともに、恋田知子さんのわかりやすい説明を聞きながら、1時間ほど展示を見てまわりました。

展示内容
T 上代の文学 文学史では平安時代より前を上代と呼ぶ
U 中古の文学 文学史では平安時代を中古と呼ぶ
V 中世の文学 中世は12世紀末から16世紀までを指す
W 近世の文学 近世は17世紀初頭から19世紀後半までを指す
X 近代の文学 近代は明治時代以降をいう
(今回の展示は「日本古典文学史」ということなので、書写された、あるいは出版された年の順ではなくて、その古典文学が書かれた年代順になっていました)

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特設コーナー
カタカナ本とひらがな本
個人的に注目したのが、カタカナ本とひらがな本の両方で出版された書物でした。たとえば『平家物語』は、江戸初期の古活字版でカタカナ本とひらがな本が並行して出版されているのです。江戸時代になると、本来はカタカナで出版されていた軍記や宗教の本などがひらがな本でも出版されるようになったということです。同じ文章でも、カタカナ本とひらがな本ではイメージがまったく異なっていました。

もうひとつの通常展示「和書のさまざま」は3月に訪れましたが、合わせて見ることで、さらにわかりやすくなると思いました。
posted by 今田欣一 at 21:53| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

[札幌紀行]プロローグ:「はやぶさ11号」に乗って

2018年5月9日、64回目の誕生日。朝から本降りの雨。季節が逆戻りしたような寒さ。加えて、川越線が10分ほど遅延。小さなトラブルを乗り越えて、10時ちょうど。大宮駅から「はやぶさ11号」に乗車。北海道に向かう。新青森まで東北新幹線、新青森から新函館北斗までが北海道新幹線だ。2016年3月に開業している。北海道新幹線には初めて乗ることになる。
乗車してすぐに雨はあがっていた。ずっと車窓の景色を見て過ごす。鉄道旅の楽しみだ。11時7分、仙台に到着。

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1998年ごろフォントワークスのウェブサイトに掲載していた「タイプフェイスデザイン探訪」という記事の第1回をまとめた小冊子(株式会社コムクエスト発行)がある。この小冊子のタイトルは当時試作していた「欣喜明朝W3」という書体を使っている。
『タイプフェイスデザイン 漫遊』(今田欣一、2000年)には、「欣喜明朝W3」とともに「欣喜ゴシックW3」「欣喜アンチックW3」の組み見本を掲載している。しかしながら「欣喜明朝」はデザインとしての完成度がイマイチだったので日の目を見ることはなかった。

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盛岡には11時47分に到着。盛岡駅を通過した後、車内販売で買った駅弁を食べる。これも鉄道旅である。

私が新入社員として、株式会社写研に就職したのは今から40年ほど前の1977年4月1日のことだった。一週間の新入社員教育期間(会社概要とか就業規則とか)を終えてから原字制作の職場に配属された。すぐに仕事につくのではなく、約3ヶ月間にわたって研修をうけることになった。
その研修で、最初に実習したのは石井細明朝体である。石井細明朝体の書体見本が配られた。この書体見本は仮想ボディ48mmサイズで、基準となる12文字が並べられている。部首、画数などの参考となる代表的な字種である。これを観察して、課題の字種を描いていくのである。
もうひとつ実習したのは石井太ゴシック体である。書体見本12字に合わせて、まず8字を練習した。この8字はすでにあるのだが、もちろんそれを見ることはできない。同じ書体を、同じ書体見本に合わせて、新入社員3名が同じ文字を描く。最初は石井太ゴシック体とは違うものになってしまうが、いろいろ指導をうけていくうちに、石井太ゴシック体となっていくのである。

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今このときに制作した原字(写真)をみると、まだまだだったと思うが、当時としては精一杯やった結果である。この新人研修のカリキュラムが、私にとっての書体制作の原点となっている。私だけではなく、写研の原字制作部門に配属されたすべての社員が経験しているので、同じような原字を保存しているはずである。そして、これらの原字からテスト文字盤を製作、テスト印字まで行われた(残念ながら、これらは持ち帰ることは認められなかった)。この新人研修のカリキュラムが、原字制作の初心者にとって、今でも有効な方法だと私は思っている。
石井茂吉(1887−1963)は、写真植字機を普及させるために必要な書体として、1930年から1935年までに、本文用の明朝体(のちの石井中明朝体+オールドスタイル小がな)、太ゴシック体(のちの石井太ゴシック体+小がな)、それにアンチック体(和字書体のみ)を制作している。このうち「アンチック体」には漢字書体はない。石井横太明朝体がこれに近いのではないだろうか。

新青森には12時35分に到着。どんよりしていた空もすっかり明るくなっていた。30年振りに青函トンネルを通過。青函トンネルができた年以来だが、今回は新幹線で超えた。

「欣喜明朝W3」は、typeKIDSの写植文字盤プロジェクトで蘇った。漢字書体「白澤中明朝体」である。このプロジェクトは簡易文字盤・四葉を製作し、テスト印字物までつくった。
「typeKIDS」は活字と書物にまつわる小さな勉強会である。1年半にわたって取り組んできた3Dプリンター活字「貘1973−B」、電子書籍を組むための「いぬまる吉備楷書W3」などに続いて、2年にわたって取り組んできたのが「白澤中明朝体」「白澤太ゴシック体」「白澤太アンチック体」の写植文字盤化プロジェクトであった。
写研の新人研修のカリキュラムが原字制作の初心者にとって、今でも有効な方法だと私は思っている。TypeKIDSに学生が参加することになって、写真植字用の文字盤をつくるというプロジェクトということで、この新入社員教育のカリキュラムを実践してみることにした。
書体設計の学習用プログラムとして、オリジナルの書体として試作してみることにした。その新しい漢字書体を「白澤」と名付けた。白澤中明朝体、白澤太ゴシック体、そして白澤太アンチック体である。

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白澤中明朝体は、『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)所収の五号明朝活字見本を結法の参考にすることにした。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し、これを見ながら下書きしている。白澤太ゴシック体も白澤中明朝体と同じく、『活字と機械』所収の五号ゴチック活字見本を結法の参考にすることにした。この見本を48mmボディ・サイズに拡大し下書きしていった。白澤太アンチック体は金属活字としては『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)所収のアンチック形活字が近いが、これには依らず欧字書体のスラブ・セリフ体にあわせてより現代的に解釈することにし、『活字と機械』所収の五号明朝活字見本および五号ゴチック活字見本を参考にして書体見本12字を制作した。
「白澤太ゴシック体」と組み合わせる和字書体は「きたりすゴシックW6」、欧字書体は「Vrijheid sans」である「白澤太アンチック体」と組み合わせる和字書体は「きたりすアンチックW6」、欧字書体は「Vrijheid slab」を考えている。白澤中明朝体」と組み合わせる和字書体は、「きたりすロマンチック」を想定している。欧字書体は『TRAKTAAT』(邦題=和蘭条約書、1858年)を原資料とした欧字書体「Vrijheid serif」を試作している。

13時38分、新函館北斗着。ここで途中下車して、五稜郭公園の箱館奉行所に向かう。30年前に訪れた時には影も形もなかったが、2010年に、日本伝統建築の匠の技により140年の時を超えて復元されたのだ。

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感動的なものだったので、思わずDVDを購入した。

物語はまだまだ終わらない。漢字書体「白澤中明朝体」は、欧字書体「Vrijheid」とともに、和字書体「きたりすロマンチック」にあわせてデジタルタイプとして試作することにしている。

2018年5月10日、「スーパー北斗5号」で札幌駅へ。
posted by 今田欣一 at 10:21| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする