2013年04月25日

[コンペは踊ろう] 第1章 装飾書体の時代(3)

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●第7回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1982年

 第6回石井賞創作タイプフェイス・コンテストに出品するための過程で、私はもうひとつの試作をはじめていた。
 江戸切子にみられるカット技術による模様を応用し、ウルトラボールド・ウエイトの文字を構成する広い平面に濃度ムラを表現しようとしていた。それは作為的ではなく自然な味わいで描写することが必要であった。ドローイングのような階調が、頭に浮かんでいた。1978年春のことである。
 その年の夏の最初の試作では、菱形を並べて作った文字が目に痛いほどチラチラしていた。錯視による線の歪みも激しいものだった。
 1980年の秋。ふと思いついて、印刷に関する書物をめくってみた時である。単線スクリーンによる図版が目に止まったのだ。『デザイン整版』再版(小池光三編著、印刷学会出版部、1972年3月)である。その図版の単線スクリーンの平行線は先端が丸くなっていたので、私には紡錘形に感じられた。菱形から紡錘形へ、この些細な事がすべてを解決した。視覚的な線の歪みをある程度抑えてくれ、美しい階調が表現できたのである。

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●L.Bellson"Percussion"のレコード・ジャケット(部分)

 写真製版において階調の再現にもちいられていたスクリーンは、錯覚によって階調を再現したかのように見せるためのものである。大日本スクリーン製造という社名の由来は、設立当時に主要製品として製造していたガラス・スクリーンにある。同社の前身である「石田旭山印刷所」はこのガラス・スクリーンの国産化に成功し、1943年にガラス・スクリーンのメーカーとして大日本スクリーン製造株式会社を設立した。
 スクリーンには、規則的で均一な大小の点に置き換える方法の網目スクリーンや、不規則な素粒子に置き換える方法の砂目スクリーンがある。単線スクリーンは、階調のある画像を多数の平行線に置き換えたものである。歴史的には網目スクリーンより前にあらわれている。再現性は悪いが、単線スクリーンの迫力はイラストレーションのような効果が期待できる。
 タイプフェイスで濃淡を作る手段として選んだのが、単線スクリーンのダイナミックなイメージであった。網目スクリーンや砂目スクリーンでも濃淡を作ることは考えられるが、この単線スクリーンの迫力にはかなわないだろう。(つづく)
posted by 今田欣一 at 19:10| コンペは踊ろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

[コンペは踊ろう] 第1章 装飾書体の時代(2)

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●第6回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1980年

 石井賞創作タイプフェイス・コンテストは、商品として発売することが約束されてはいなかった。主催者である写研が商品として別に検討したうえで、契約上の諸条件が合意されたものが商品化されたのである。第1回の「ナール」がヒットしてしまったので、商品開発のためのプレゼンテーションの場になってしまったように思える。主催者が一企業であるという宿命なのかもしれない。
 しかしながら私にとってコンテストというものは新しい提案の場であった。日常の業務からはなれて、挑戦的・挑発的なものを作っていこうと考えていた。実際に市場に出たとき、どう使われるかということはまったく考えていなかった。
 第6回石井賞創作タイプフェイス・コンテストに応募するにあたって、運筆に沿ったラインによる書体を制作した。この書体は、木版画を思わせる素朴な暖かい味わいのある「質感」を表現したかった。木版画といっても浮世絵のような板目木版ではなく、木口木版の鋭利で細密なテクスチュアをイメージしていた。それに加えて、「量感」をも感じさせるようにラインの太さと交差の処理を工夫した。
 その結果として、丸い柱と梁をもった石造りの建築物のような書体ができあがった。もちろんすべて手書きである。それぞれのラインの太さを変えることによって立体感をあらわした。間隔をコントロールすることにも気を使わなければならなかったので、思った以上に手間のかかる書体になった。
 幸いなことに、この書体は第6回石井賞創作タイプフェイス・コンテストで第3位になった。だが自分自身では決して満足できるものではなかった。それは泥臭いイメージのものになってしまっていたからである。
 さらに幸いなことに、この書体を商品化しようという話は主催者からなかった。3位までに入った書体には写研に商品化の権利を自動的に譲渡するというのが応募の際の条件となっていたので、商品化の可能性はあったわけだ。もし商品化するということにでもなっていたら、何千字も制作しなければならなかったところだ。精神的にまいってしまったかもしれない。
posted by 今田欣一 at 17:19| コンペは踊ろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

[コンペは踊ろう] 第1章 装飾書体の時代(1)

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●第5回石井賞創作タイプフェイス・コンテスト応募書体 1978年

 1977年はすなわち社会人1年目である。私は、第5回石井賞創作タイプフェイス・コンテストに出品するにあたって、ゴナUとスーボのようなウルトラボールドのウエイトの書体の設計を考えていた。
 当時は本文用を制作する力量はないと自分で判断していたのだ。そこで当時の写真植字用の書体としては筆書きのウルトラボールドのウエイトの書体が少ないことに注目した。そこで、江戸文字のイメージを取り入れた書体を制作してみることにしたのだ。
 ひとくちに江戸文字といっても、いろいろある。歌舞伎の勘亭流や、寄席文字、相撲文字は、それぞれの世界で特有のものとして伝承されている。もう一つの代表的なものに千社札や半纏などに見られる江戸文字がある。この文字は、太い筆で墨をたっぷりつけて書くのではない。輪郭を決めてから塗り込んでいく、書とは全く異質の、勘亭流などとも違う、装飾的なつくり文字で、半纏・暖簾・手拭など染色用の文字としても広く活用されている。
 私は、東京下町の情感溢れる豪快さを持つこの江戸文字を意識しつつ制作を始めた。なかなか思うようにいかなかった。初めての挑戦だった。締め切りの1978年1月31日が近づくと、とにかく出品することだけを考えていた。精一杯やったし、当時としてはそれなりに満足できるものであった。
 この処女作が結果として佳作になったので、私の喜びは大きいものだった。しかし、これまでのウルトラ・ボールドの書体に対しての提案としては力不足だし、江戸文字の持つパワーにははるかに及ばない。とにかくオリジナルを超えるのは、とっても難しいことだと思った。
posted by 今田欣一 at 19:46| コンペは踊ろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする