2020年05月18日

[札幌紀行]札幌2020 回顧

新型コロナウイルス感染症(COVID–19)が世界中に蔓延した2020年。緊急事態宣言が出され、外出自粛が要請された。毎年5月に計画していた札幌出張は断念せざるを得ない状況となった。
イメージナビ株式会社の運営するdesignpocketでは、「新型コロナウイルス感染症・対策セール」を、5月18日から6月18日まで開催することになった。

『北海タイムス物語』を読み直す
 2020年5月16日

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外出自粛が続く中、以前読んだ『北海タイムス物語』(増田俊也著、新潮社、2017年)を読み直してみた。札幌の新聞社を舞台にしたこの小説には、光学式電算写真植字機サプトンが登場する場面がある。
萬田さんがガラスで仕切られたコンピュータ室のようなところへ近づいた。中で三人が作業している。
「ここがサプトン室。写研という会社が開発したサプトンという自動写植システムだ。ほら、ここに細長い紙が出てきているだろ。これが新聞で使うそのものだ。原寸大」

電算とは電子計算機の略で、コンピューターのことである。電算写植システムは、入力・編集・組版処理を行う装置と、自動電算写真植字機(出力装置)で構成される。
光学式電算写真植字機はガラス文字円盤に書体を収録して回転させて選字、露光する方式で、アナログタイプであるということでは手動写植機の文字盤と同じである。SAPTON(Shaken Automatic Photo Typesetting Machine)は出力機で、入力機はSABEBEである。
本蘭細明朝体(本蘭明朝L)の開発に着手したのは、光学式電算写真植字機への移行のためであった。電算写植機の普及のためには、書籍や文庫などの本文用の明朝体を開発する必要性があったのだ。
本蘭細明朝体は、光学式電算写真植字機SAPTONの弱点をカバーするために、横線を太くし、先端をカットし、交差部分には大きな食い込み処理が入れられた。ハードやソフトによって起こる、いままでに経験したことのない制約を克服して開発したのだ。


『永遠も半ばを過ぎて』を読み直す
 2020年5月17日

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関連して、『永遠も半ばを過ぎて』(中島らも著、文藝春秋、1994年)を読んでみることにしよう。この小説の主人公が電算写植のオペレーターで、一休こと、入力機SAZANNAが登場する。
一休は、もう年齢だ。おれが三十八のときに半ばやけくそになって買ったから、五歳になる。本名はSAZANNA–SP313という。
電算写植機の進化はすざましい。五年前の機種なんかはもう恐竜扱いだ。

札幌市中央区に本社のある株式会社アイワードでも、1983年(昭和58年)にSAZANNA–SP313を導入している。以降、写研の電算写植システムによる組版を行なっている。
CRT式電算写真植字機はCRT(ブラウン管)からレンズ系を経て露光する方式である。書体は文字円盤からデジタルデータへと移り変わり、その形式はランレングスフォント、ベクトルアウトラインフォント、曲線アウトラインフォントと変化していった。CRT式電算写真植字機がSAPTORONで、レイアウトターミナルSAIVERTなども開発されている。SAZANNA–SP313はその入力機である。
本蘭細明朝体は、CRT式電算写真植字機でアウトライン・フォント(Cフォント)化されるときに、食い込み処理が埋められている。機種によって原字のデザインが変遷したのだ。
本蘭明朝のファミリー化は1985年であった。この時、本蘭細明朝体は本蘭明朝Lに改称した。本蘭明朝のファミリー構成は、本蘭明朝L、本蘭明朝M、本蘭明朝D、本蘭明朝DB、本蘭明朝B、本蘭明朝E、本蘭明朝Hの7書体である。
     
レーザー式電算写真植字機はレーザーの走査によって印字するもので、画像や写真の出力もできるようになった。レーザー式電算写真植字機をSAPLS(Shaken Automatic Plate Laser Setter)といい、入力編集機GRAFやSAMPRASが開発された。
本蘭細明朝体が1975年に発売されたとき、そのペアとして開発されたのは、石井中太ゴシック体をそのまま拡大した「石井中太ゴシック体L」だった。1990年ごろから本蘭明朝に対応する本蘭ゴシック・ファミリーの制作が企画されていたが、なかなか実現しなかった。
1997年になって、まず本蘭ゴシックUが発売された。2000年には、本蘭ゴシックL、本蘭ゴシックM、本蘭ゴシックD、本蘭ゴシックDB、本蘭ゴシックB、本蘭ゴシックE、本蘭ゴシックH、本蘭ゴシックUの8ウエイトからなる本蘭ゴシック・ファミリーが発売された。
本蘭アンチック・ファミリーは、本蘭明朝ファミリーにつづく書体として、本蘭ゴシック・ファミリーとともに試作していた。本蘭ゴシック・ファミリーは2000年に発売されたが、本蘭アンチックが制作されることはなかった。
株式会社写研大阪営業所の新しいビルディングが竣工したのは1992年10月のことであったが、このビルディングの「定礎」の文字の原図のレタリングは、当時試作していた本蘭アンチックだった。本蘭アンチックの唯一の証である。



(追記)
『赤と黒の奇跡』を読み直す
2020年7月8日

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埼玉県在住だから埼玉西武ライオンズを応援しているのではない。埼玉県在住だからといって浦和レッドダイヤモンズや大宮アルディージャを応援しなければならないということもない。
学生時代の4年間を太平洋クラブライオンズと共に過ごし、株式会社写研に就職した1977年にクラウンライターライオンズになった。その2年後に西武ライオンズ球場が完成し西武ライオンズが誕生した。現在の埼玉西武ライオンズにいたるまで、ずっとライオンズ贔屓で来ている。
株式会社写研を辞めることになった1996年に、東芝サッカー部を母体にして誕生したのがコンサドーレ札幌であった。岡田武史監督になり、札幌ドームが完成した頃から、密かに応援するようになった。
『赤と黒の奇跡』(北海道新聞情報研究所編、北海道新聞社、2001年)は、そのころの状況をまとめたもので、札幌市の中西印刷で印刷された。1912年(明治45年)創業の中西写真製版所に始ま利、現在ではDTPによる活字組版を行なっている。
     
2020年7月8日、CSでパリーグを、DAZNでJ1リーグを同時視聴した。
埼玉西武ライオンズは、ZOZOマリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズとの一戦。初回に外崎修汰選手の内野安打で先制すると、中盤以降は森友哉選手の本塁打と山川穂高選手の適時打で追加点をあげる。先発今井達也投手は7回2安打無失点の好投で今季初勝利。リリーフ陣もそれぞれ3者凡退に抑えた。3対0でライオンズの勝利。
北海道コンサドーレ札幌は、県立カシマサッカースタジアムで鹿島アントラーズとの一戦に臨んだ。まず前半七分に鈴木武蔵選手のゴール。この1点を守り切って勝利するのかと思いきや、後半アディショナルタイムにルーカス選手が追加点。2対0で北海道コンサドーレ札幌の勝利。鹿島アントラーズには19年ぶりの勝利で、県立カシマサッカースタジアムでは初勝利となった。
     
CRT式電算写真植字機の時代に開発された本蘭明朝・ファミリー、レーザー式電算写真植字機の時代に開発された本蘭ゴシック・ファミリー、そして幻に終わった本蘭アンチック・ファミリー。このグランド・ファミリーを、新しい時代に継承するために試作しているのがきたりす白澤明朝・ファミリー、きたりす白澤ゴシック・ファミリー、そしてきたりす白澤アンチック・ファミリーなのである。
posted by 今田欣一 at 20:12| 漫遊◇文字と旅と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする