2016年03月16日

石の書物をたずねて〈熹平石経・開成石経・乾隆石経〉

2016年1月10日(日曜日)

午前中に孔廟・国子監博物館、午後から故宮博物院を見学。どちらも北京を代表する観光地である。

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孔廟・国子監博物館

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故宮博物院

なかでも孔廟・国子監博物館にある乾隆石経が一番の目当てだった。儒教の十三経を石に彫った、いわば石の書物である。この拓本(複写)を、足利学校事務所のビデオルームで見て以来、ぜひ現物を見たいと思っていたのだ。

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足利学校事務所ビデオルーム

「乾隆石経」の扁額は、ノーベル文学賞の莫言氏の書だそうだ。

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乾隆石経

乾隆石経は、清の乾隆帝が作らせたものだ。江蘇省出身の貢生(科挙に合格し、国子監に入学した者)で、著名な書家であった蔣衡が、791年(乾隆56年)から3年かけて楷書で書きあげた。189石が完全に保存されている。

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ひときわ大きな石碑は、乾隆帝の御製文である。おもて面は漢字(行書)、うら面は満洲文字で刻まれている。熹平石経が隷書体、開成石経が楷書体であったので、乾隆石経の御製文の行書体には注目していた。

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乾隆帝の御製文

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乾隆帝の御製文 おもて面

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乾隆帝の御製文 うら面


1992年7月29日(水曜日)

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西安碑林博物館

20年以上前になる。西安碑林博物館を訪れた時、熹平石経の残石を見たはずだが、当時は興味がなかったので、その記憶がない。王羲之の「集王聖教序」など、著名な書家の石碑にのみ注目してしまっていた。この裏手に熹平石経の残石があったのだ。
熹平石経は多くの戦乱によって大部分が破壊されてしまっていたが、1922年に洛陽太学遺址から100余の残石が出土した。その残石のひとつを展示していたようだ。
熹平石経とは、東漢の後期に洛陽城南太学門外に立てられた儒学七経の石経である。記録に残る最古の石経で、蔡邕の揮毫といわれている。易経・詩経・書経・儀礼・春秋・論語・公羊伝の七経からなっていたそうで、漢代の典型的な公文書体とされる。

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『西安碑林書法芸術』(陝西人民美術出版社、1989年)より 熹平石経のページ

実際に意識して見ることができたのは、京都の藤井斉成会有鄰館と東京の台東区立書道博物館である。台湾の国立歴史博物館にも所蔵されている。

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藤井斉成会有鄰館(京都)

西安碑林博物館といえば開成石経である。第一室が開成石経で埋め尽くされていた。じっくりと見ることができたのだが、保護プレートで覆われていたのは残念なことだった。

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西安碑林博物館第一室 開成石経

開成石経は、唐の文宗皇帝・李昂が命じ、830年(大和4年)から837年(開成2年)にかけて、艾居晦らの写字生によって真書で書かれた。長安城務本坊の中に置かれていたそうだ。

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『西安碑林書法芸術』(陝西人民美術出版社、1989年)より 開成石経のページ

十三経の石碑が揃っている。十三経とは、周易・尚書・儀礼・詩経・周礼・礼記・春秋左氏伝・春秋公羊伝・春秋殻梁伝・論語・孝経・爾雅・孟子の儒教経典のことである。このうちの孟子は、清の康煕年間に当時の陝西地方政府によって補われたとのことである。
posted by 今田欣一 at 13:03| 文字する時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする