2015年04月01日

[吉備の国から]春の旅 スリー・デー・ウォーク

箕作阮甫を歩く 2015年3月28日(土曜日)
5月並みの暖かさのなか、岡山駅から津山線「快速ことぶき」で、70分のローカル線の旅です。
津山駅で、「箕作阮甫銅像」に迎えられました。25歳の頃をモデルにしているそうです。津山の洋学者を代表する偉人ということでしょうか。

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駅前から今津屋橋を渡り、城東伝統的建造物群保存地区へ向かいました。しばらく進むと、「箕作阮甫旧宅」が見えてきます。ここに来たのは2回目ですが、そのまま変わりない雰囲気でした。

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1975年から1976年にかけて解体復元工事が行われ、国指定史跡に指定されています。解体前の写真が展示されており、その損傷の激しさと、復元の状況を知ることができます。

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「箕作阮甫旧宅」に隣接して「津山洋学資料館」がありました。以前訪れたときは旧妹尾銀行林田支店を利用した建物だったのですが、2010年に現在の場所に新しく開館していました。富田玲子氏の設計によるものです。前庭には洋学者のブロンズ像も集められていました。

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展示室[2]は「世界に開かれていく眼 阮甫が生きた時代」と題され、箕作阮甫を中心に構成されていました。箕作阮甫の生涯を描いた数分間の映像も見ることができました。

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●『津山洋学資料館常設展示図録』より

近くには「城東むかし町家(旧梶原家住宅)」があり、こちらは国登録有形文化財に指定されています。
せっかく津山に来たのだからと、桜の名所として知られている「鶴山公園(津山城跡)」に行ってみました。屋台も出て、多くの人が訪れていましたが、肝心の桜は残念ながらまだ蕾でした。

武元登々庵を歩く 2015年3月29日(日曜日)
朝のうち降っていた雨もあがって、きょうも暖かい1日になりました。山陽本線の吉永駅から、武元登々庵も学んだ「特別史跡・旧閑谷学校」に歩いて向かいました。小学生の時から何度も訪れている慣れ親しんだ道のりです。
重要文化財「鶴鳴門」は、後方にある聖廟(孔子廟)の正門として建てられたものです。藩主でさえ御成門(公門)を通り、生徒や聴講者は飲室門(通用門)から出入りしていたそうです。

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国宝「講堂」では、論語の講義を受けたことが何回かあります。花頭窓と欅の円柱が荘厳な雰囲気を醸し出します。鏡のように磨かれた床は、代々の生徒によって磨き込まれたものです。私もその端にいます。

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「閑谷学校資料館」は、江川三郎八(1860−1939)が1903年に設計し和気の大工によって竣工・建築された「私立中学閑谷黌」本館を利用して、1995年に開館したものです。2001年に国登録有形文化財に指定されています。

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「3号室」では「閑谷学校の教育」と題され、儒学を中心とした教育内容と、教官・生徒が紹介されていました。生徒の中で、大きく取り上げられているのが武元登々庵と大鳥圭介でした。

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●『閑谷学校資料館図録』より

「旧閑谷学校」に隣接して、現在の閑谷学校「岡山県青少年教育センター閑谷学校」があります。

おもに武元登々庵の書作品を所蔵する「備前市吉永美術館」にも立ち寄ってみました。現在は企画展開催時のみ開館するということで、きょうは外観だけを見てきました。

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平賀元義を歩く 2015年3月30日(月曜日)
きょうのスタートは我が母校、岡山県立和気閑谷高校から。校門から和気富士(曽根城跡)が臨めます。

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校門のすぐ左手に、平賀元義の「を新田の穂田は日照りて妹がきる衣笠山にしぐれ降る見ゆ」歌碑があります。平賀元義の研究者として著名であった故藤本實校長を追悼したものだそうです。かつて古典の授業をうけた正務弘先生も平賀元義の研究者で、論文も多く著述されています。

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ガイドブックとして岡山文庫『平賀元義を歩く』を手に、和気駅前から路線バスで40分、天神山城跡の麓を通って吉井川沿いを遡り、周匝(すさい=赤磐市)まで行きます。
(岡山駅前からは林野(美作市)行の路線バスが周匝を経由しています)

周匝から歩いて吉井川に架かる飯岡橋(片上鉄道鉄橋跡)を渡ると対岸が飯岡(ゆうか=美咲町)です。美作飯岡駅跡を通り、しばらく歩いて行くと「平賀元義楯之舎塾跡」というちいさな石碑が建っています。楯之舎というのは1857年−1859年のわずか1年半だけ開設していた私塾です。

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石碑の後方には説明板がありました。楯之舎塾では、歌会をひらくほか、神典や史学を教えていたようです。この時代が平賀元義のもっとも充実しており、多くの門人がいました。

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石碑と並んで「山風に河風そひて飯岡の坂田の御田は涼しかりけり」歌碑が建てられていました。

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時間があったので周匝にもどり、旧備作高校(2007年、和気閑谷高校に統合された)近くの吉井城山公園(茶臼山城跡)に登ってみることにしました。ここから飯岡集落を一望できます。
posted by 今田欣一 at 23:18| 吉備の国から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする