2013年06月08日

[航海誌] 第14回 ボカッシイ

 石井賞創作タイプフェイスコンテストにおいて、「1位、2位、3位に入賞した書体の著作財産権は、株式会社写研に帰属する」というのが応募の際の条件であった。応募者は、これを承知の上で応募したということになる。
 ただし、入賞した書体、つまり著作財産権を移譲された書体のすべての商品化が約束されたものでもなかった。商品化するかどうかは、写研の判断に委ねられていた。商品化が決定されると、応募者(制作者)と、制作料、制作字数、制作期間などの交渉が始まる。次のような制作方法があった。

1 すべての字種を応募者が請け負う
2 一部を応募者が制作し、それ以外を写研もしくは第三者が制作する
3 すべての字種を写研もしくは第三者が制作する

 第7回石井賞創作タイプフェイスコンテスト第1位入賞書体の場合、応募者が写研の社員(私)であったために、必然的に「3 すべての字種を写研で制作する」ということになった。入賞した時点で、個人としての私ではなく、社員としての私が、業務命令で制作するということになったわけである。よく聞かれるのだが、もちろん給料のみで、それ以外の制作料などが発生することはなかった。
 写研で制作したこの書体は「ボカッシイG」と名付けられた。ナール、ゴナの「ナ」、スーボ、スーシャの「ス」と同様に、ボカッシイの「イ」は、イマダの「イ」である。当初は「キントーン」が考えられたが、類似商標があったので採用されなかった。私が個人として第7回石井賞創作タイプフェイスコンテストに出品した書体を「第7回石井賞1位書体」、それをもとに写研で制作した書体を「ボカッシイG」ということにする。

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●書体見本

 結法の参考にしたのは「ゴナU」である。できるだけ太く、できるだけ方形にした方が「ボカッシイG」には効果的であった。したがって、「第7回石井賞1位書体」より「ボカッシイG」のほうがより太く、より方形になっている。
 「ゴナU」の制作者は中村征宏氏。1942年、三重県生まれ。看板業、印刷会社、テレビ局、デザイン・フィニッシュスタジオに勤務ののち、第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト第1位入賞を機に書体デザイナーとなっている。著書に『新技法シリーズ 文字をつくる』(美術出版社)がある。
 「ゴナU」は、当時最も太かった「石井特太ゴシック」よりも、もっと太い角ゴシックを作って欲しいという写研からの依頼によって制作された。これ以上は無理だろうと思われるぐらいの太さは、その当時では考えられないものだった。その発想は欧字書体のサンセリフ(筆者註:おそらく「ユーロスタイル・ボールド(Eurostile Bold)」ではないか)にあったという。

「直線的な線は、雰囲気はないかもしれないけど、シャープでモダンになるかなぁというのもありました。アルファベットの感覚を持ち合わせたかったですね。ゴナは毛筆から卒業したというか、筆を引きずらないで別のものにしたということを評価していただけると非常に嬉しいですね(笑)」(字游工房『文字の巨人』インタビューより)

 「ボカッシイG」は、「ゴナU」で提案された方形の結法に、隷書の筆法を濃淡という表現手法で加味した書体であるともいえる。

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●ボディと45度ライン

 気になっていたのは、「第7回石井賞1位書体」に対する杉浦康平氏の審査評であった。

今年度一位の今田作品では、文字が印刷されあるいはブラウン管のなかに立ち現れる、いわばメディアの中で再生されるときに負荷される、雑音や歪みそのものをモチーフにした、着想の妙が評価されたと思う。しかし、ボディを埋めこむ45度斜線が、時に曲線部分のふくらみに視覚的歪みを与え、字形自身のふくらみを失わせたのは惜しい。雑音性の中に品位を見いだすことこそ、主題となるべきである。

 45度ラインに規制された書体なので、とくに45度と平行になってしまう掠法や啄法を描くには無理がある。そこで45度ラインを意識しつつ、「視覚的歪み」をなくすよう微妙に調整していった。さらに45度と少しだけずれる側法や磔法の収筆なども45度ラインに沿わせないで調整した。

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●「ボカッシイG」の制作現場

 「ボカッシイG」の制作には、私を含む延べ10人以上の写研社員が携わっている。彼ら制作スタッフからは、「悪魔の文字」と思われていたかもしれない。そのうちのひとりが、たわむれに「涙のボカッシイ」という歌をつくった。

目は疲れるし 肩は凝るし
やたら気分は滅入るし
頑張っていても 進まないし
なんとか早く 逃れたかったよ
仕事だから 仕方ないけれど
二度とは もうやりたくないさ

いつまでも いつまでも
僕は忘れないよ 涙のボカッシイ

 こうしてメインプレートに収録される字種が終わったとき、写研の石井裕子社長より「あなたは書道の基本がわかっていない」との叱責を受けた。「濃淡の付け方が、楷書とは異なっている」というものであった。つまり、掠法の先端などは弱くするべきだというのである。「隷書の筆法をもとにしているのだし、先端を細くすること自体が無理なのになあ」と内心は思っていた。
 橋本氏や鈴木氏と相談して作戦を練った。結局、何種か試作して、現状より少しだけ調整する方向で石井裕子社長にもなんとか理解していただけた。全面的な修整作業が必要になってしまったが、最小限のものだったので、ほっと一息ついたものだった。

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●組み見本:「徒然草」より

 1983年11月、「ボカッシイG」のメインプレートおよび専用記号文字盤(BKIG-SB)、専用欧文文字盤(E71-54)が先行発売された。第1外字文字盤(BKIG-S 1−7)が発売されたのは翌1984年のことだったと思う。1982年夏から1984年秋までの足かけ3年を費やしたことになった。
 発売されるや否や、アートディレクターの浅葉克己氏により、ポスターや広告に使用された。さらに、多くのデザイナーの支持を得て、書籍のカバーなど幅ひろく使用されている。

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●使用例:『占術家入門報告』(中沢けい、朝日新聞社、1996年)

※「ボカッシイG」のメインプレートおよび専用欧文文字盤(E71-54)を欣喜堂で保管している。


◎最近の使用例
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posted by 今田欣一 at 13:34| 航海誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする