2013年05月19日

[航海誌] 第12回 艶L

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●艶L 写真植字機用文字盤

 正木香子氏の人気エッセイ・シリーズ「文字の食卓」で「艶」を取り上げていただき、「第24回 蜜の文字」として書いていただいている。その中に次のような文章があった。

 数々の賞を受賞し、フリーデザイナーとして独立した現在もデジタルフォントの世界で精力的に活動している今田氏にとって、代表作というわけではないかもしれないけれど、私はこの書体がとても好きだ。
 言葉の襞に隠れているものを、こんなにも美しく、誰も思いつかなかったかたちにしてしまうなんてぞくぞくする。


 リョービの「小町・良寛」が売れたので写研が対抗としてあわてて出した急ごしらえの書体だとか、「小町・良寛」のような伝統的な視点がなく創作性を強調しただけの風変わりな書体だとか、あげくに「て」は奇をてらいすぎだ…というようなことを伝え聞いたことがあった。アンチ写研の人だったのだろうが、制作者としては悔しい思いが残っていた。それだけにこのエッセイを読んだとき、なにか胸のつかえがとれたようなすっきりした思いがした。

 与謝野晶子と藤原定家の書写資料をもとに活字書体化するという、この企画の立案は橋本和夫氏によるものである。書体名がつけられるまで社内では仮称で呼ばれていた。当初は晶子がな、定家がなと呼ばれていたが、しだいにAかな、Tかなと呼ばれるようになった。
 なぜ、橋本和夫氏自身が制作されなかったのかは聞いていない。橋本氏はそのころ「紅蘭楷書ファミリー」の和字書体を設計されていたので、私にまわってきたのだと想像している。鈴木勉氏は「本蘭明朝ファミリー」の和字書体を担当されていたと思う。「紅蘭楷書ファミリー」と「本蘭明朝ファミリー」は、どちらも1980年代の写研を代表する書体である。
 「ゴカールE」の制作を別の社員にゆだねて、私が取り組んだ書体がAかな、Tかなである。確かに「小町・良寛」に対抗するというもくろみがあったのかもしれないが、私はそういうことをあまり意識してはいなかった。橋本氏から私に手渡された書物のなかで、付箋がつけられている書写資料をベースにした活字書体を試作するということだけだった。
 手渡された書物のうちの一冊が『書体字典かな篇』(野ばら社編集部企画編集、野ばら社、1983年改訂発行)である。名筆として紹介されていた与謝野晶子の「源氏物語礼讃 明星抄」を参考にして試作したのがAかな(晶子がな)である。創業60周年にあたる1985年の「写研フェア」に向けての企画会議に提案し、Tかな(定家がな)とともに採用されたのである。まずAかなを先に制作することになった。

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●与謝野晶子の「源氏物語礼讃 明星抄」

 与謝野晶子の「源氏物語礼讃 明星抄」は、与謝野晶子による源氏物語の各帖を詠み込んだ54首からなる和歌の連作で、与謝野晶子自身が書写したものである。『書体字典かな篇』には、54首すべてが掲載されていた。細筆で軽やかに書かれている。「文字の食卓」で書かれたつぎのような印象は、与謝野晶子の書風から醸し出されたものかもしれない。

 子どものころ、ギャグ漫画のいわゆるお色気シーンでこの文字をみたとき、なんていろっぽい文字だろう、と思った。べったりと甘く、滑稽で、哀しい。描かれた女の太腿をみているようだ。
 日本語のかな独特のいろっぽさだと思う。露骨に生々しい言葉よりも、他の書体ならば何とも思わないような、普段よく口にしている言葉こそ、色香がより匂い立つ。


 Aかなは石井細明朝体(漢字)と組み合わせて使うように設計することにした。この時点では、写研で一番普及していた書体は石井細明朝体だった。本蘭明朝Lは存在していたが、ファミリー化をすすめているところだった。雰囲気としても石井細明朝体のほうがマッチするのではないかと思われていた。
 こういった書写をベースにした書体設計の場合、同じキャラクターでも同一ということはない。どれを選ぶかで全体的なイメージは異なってしまう。全体的なイメージを把握し、何度も入れ替えながら、慎重に選択していったのである。
 筆圧が軽いという特徴を生かすため、「あ」「の」なども途中で切れた書き方にした。「て」は悩んだ末、一筆のものと、途中で離れた異体字にみえるものを残した。橋本氏は後者を即決した。違和感をおぼえる人もいるだろうが、ふりかえればこれしかないと思っている。
 Aかなの制作方法は、「かな民友明朝」などのように「源氏物語礼讃 明星抄」から全キャラクターを抜きだして、48mmの原字サイズに拡大して、そこに直接墨を入れるという手法はとらなかった。全キャラクターは抜きだしたが、下敷きにするのではなく、まったく新規に書き起こしたのである。石井細明朝体に合わせることを前提にしたので、そうする手法が適していると判断したのだ。
 仮に「源氏物語礼讃 明星抄」から数文字を抜き出して拡大し、完成したAかなと重ね合わせても一致することはないだろう。だがAかなは確かに「源氏物語礼讃 明星抄」の文字の雰囲気を受け継いでいるのであり、もし創作性と言われるならば、与謝野晶子の個性によるものだと思う。
 Aかなは、「艶」と命名された。与謝野晶子の書写資料を参考にしたとはいえ与謝野晶子の筆跡そのものではないということで、与謝野晶子にちなんだ書体名は付けられなかった。当時は著作権が存続していたということもあり、さらには近代の著名な文人に対する配慮もあったのだろう。

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「源氏物語礼讃 明星抄」の太さは石井細明朝体にちかい。当初から、ファミリー化を前提としたため、石井中明朝体にあわせて「艶M」を、石井太明朝体にあわせて「艶B」を、石井特太明朝体にあわせて「艶E」を制作しなければならなかった。
 ゴシック体系やアンチック体系とはことなり、明朝体や楷書体と組み合わせるための和字書体は、毛筆の抑揚により太いところと細いところができる。ウエイトの太い書体は、太いところと細いところの差が大きくなるため、細い書体より太い書体のほうが圧倒的に難しい。
 とくに「源氏物語礼讃 明星抄」の場合には細筆でさらさらと書いたものである。それを太くすること自体が不自然なことなのだ。書くことができないのである。太い書体で、途中で切れた書き方をするということはあり得ないことだ。それでも書くことをイメージしたときに自然に流れてみえるように調整していった。「艶」のファミリー化には、そういう葛藤があった。
 さらに、本文用としてやや小振りなものも欲しいという意見があり、それぞれのウエイトで「艶小がな」も制作した。もちろんただ縮小しただけではなく、さらに伸びやかのなるように調整している。「艶小がな」の制作により、いままでの「艶」は「艶大かな」となった。こうして「艶大かな」4書体、「艶小がな」4書体の、計8書体になるファミリーとして完成したのである。

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 ある日のこと。新潟県三島郡出雲崎町を訪ねたとき、観光パンフレットに艶Lが使われているのを見つけた。私は溜飲を下げたのである。

※結局Tかなは、うやむやになって発売されることはなかった。